「新月の願いごと」用・2014年新月日時データ配布

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遅くなりましたが、昨年に引き続き、「新月の願いごと ベストタイム・ベタータイム2014」リーフレットを作ったので、pdfファイルにて配布いたします。

※「新月の願いごと」とは何か?その方法は?については、「新月の願いごと」とはをご参照ください。

本年のリーフレットも、A4pdfファイルを出力・印刷して切って折ってブックレットにする仕様となっています。
ブックレットとしてスケジュールやモレスキンの後ろポケットなどに入れておくもよし、1ページずつに切り離して貼るなどもよし、お好きにお使いください。
昨年同様、上半期・下半期それぞれ1部ずつ、計2部で1年分となります。
が、昨年と違い、上半期分と下半期分でダウンロードファイルが別になっていますので、ご注意ください。

今年はイラストレーターで作成しています。ので、昨年よりは読みやすいかと思います。
珈琲や紅茶等で染めると雰囲気がよくなる、かもしれないデザインにしてみました。

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(2014年2月3日追記)

クラフト紙に印刷したバージョンを作ってみました。

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ちょっと面白い感じになりますかね?
やはり珈琲や紅茶で染めるほうが雰囲気はいいかな…

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ダウンロードフリー、パスワード等も必要ありません。ご自由にお持ちください。
(著作権は手放しておりませんので、ご了承ください。)
コメント欄やtwitter等で、「ゲットした!」とのご報告やご感想、ご意見等戴けると嬉しいです。

2014年は、新月が13回あります。
また、昨年に比べ、ボイドがかかっている時間が少ないなぁという印象があります。

星の動きを見ていて、なんとなく、2014年は全体的に、2013年の閉塞感息詰まり感から少しずつ解放されていきそうに思っています。
新月の願いごとベストタイム・ベタータイムにボイドがあまりかかっていないというのは、そんな兆しの背中を押してくれているようで嬉しいですね。

皆様の願いや希望・夢が、滞りなく大きく花開き、豊かに実りを結んでゆきますように。

May the “MOON Force” be with you! :)

with lots of LOVE.

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☆New Moon Power Days Book 2014 上半期

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☆New Moon Power Days Book 2014 下半期

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【読んだ】沢村貞子の献立日記

私の沢村貞子好きを知る家人が、プレゼントを買ってきてくれました。

新潮社「とんぼの本」シリーズの「沢村貞子の献立日記」です。

20歳そこそこの頃からずっと、沢村貞子さんがすごく好きです。
エッセイはほぼ読まないのですが、この人の本はとても好きで、多分ほとんど読んでいると思います。

この本には、「わたしの台所」「わたしの献立日記」などに散在しているレシピがまとまっていて(カラー写真つき)、ありがたいです。
これを読んでいると、「これは作ってみよう」「他のいろいろも書き抜いていこうかしら」などと夢が広がりますね。

また巻頭の黒柳徹子さんの文章がとてもいい!
「窓ぎわのトットちゃん」も大好きで、そのほかの本も何冊か読みましたが、この方も本当にいい文章を書かれますね。この巻頭文は一読に値すると思います。
その中では、ご主人大橋恭彦さんの文章も引用されていてひと粒で二度おいしいです。
なんというか…やはり、教養高い人の周りにはそういう人が集まるのだなぁと、白洲夫妻にも感じる同じことを思います。

12、13ページには献立日記全36冊がカラー写真で並んでいます。
沢村さんの文章では「粗末な大学ノートを、古い民芸カレンダーでくるむ」とあるだけだったのですが、どうしてどうしてものすごく素敵!ほとんどが芹澤銈介の絵歴だそうですが、いやいや本当に素敵なのです。
あれでもないこれでもないと高価なノートを買い漁る自分の方がよほど野暮だと思わされます。

94ページの篠山紀信撮影のポートレートが本当によくて、なんと美しい方なんだろう、やはり「顔は自分で作るもの」とは本当なんだなぁとため息が出ます。

 

沢村貞子さんは、私が演劇をやっていた当時芝居に関わる本を手当たり次第に読んでいた中で出会ったのが最初です。
とは言っても、私の年齢では女優としてご活躍の当時は知らず、よって名前を見てもまったくぴんと来ず、読んでいってしばらくして、亡くなった当時ニュースで流れていた引退会見に感銘を受けたあの人だ!と思い至ったのでした。

私が期待していた「演技論」のようなものはほぼ無く…強いて言えば、職業女優として脇役をきっちりやろうと決心なさった当時のエピソードくらいでしたか…、引退されて以降の日々の随筆ばかりですが、その姿勢や言葉づかい、心持ち、暮らしぶり等々…に感嘆するやら憧れるやら。
穏やかで心地よい文章と裏腹に、あの引退会見のきっぱりと清々しくも「(関西人の思い描く)江戸っ子気質」そのままの気持ちよさ。

演劇はしばらくしてやめてしまいましたが、その後10年以上、お勤めを始めては社会での身の処し方振る舞い方受け取り方に、結婚に憧れてはその暮らしぶりや夫との関係のありように、着物にハマってはその縞へのこだわりと着付け方着こなし方にと、「沢村貞子はこうしてた」がいつも私の心の中にあるように思います。

紆余曲折経て無事結婚し2人分の食事を作るようになって、包丁を握れば沢村貞子さんのエピソードが頭をよぎります。
(ついでにお掃除の仕方も。)

元々料理や家事など本当に苦手でやっていなかったのですが、そんな自分でもやはり憧れは「沢村貞子的暮らし」。
今のところなんとか出来てるのは、「出来合いのもの(冷凍食品やレトルトなど)は使わない」かな…「常備菜をいつも用意しておく」は、疲れた疲れたと怠け心に負けてなかなかいつもとはいきません。
が、少しずつ、少しずつでも、「まめまめしく丁寧に暮らしを守る」自分に作り変えていけたらいいなと、亀の歩みを守っています。

 

この本の随所に、沢村さんご自身の本からの文章が引用されています。
沢村さんの本は、ほんとうに何度も何度も繰り返し繰り返し手にとっているので、「ああ、これはあの文章の中のエピソードだ」などと近しい気持ちで、しかし良さを改めて新鮮に感じながら読んでいます。

こんな風に自分を作っていけたらいいなぁと、長い間ずっと持っている憧れをまた新たにしつつ、沢村貞子さんのしていたように、私も家人と寄り添い向き合い、家人のためにご飯を作り掃除洗濯をし、目の前や足元にある「暮らし」を大切にそしてさらに豊かにしていこうと思うのです。

 


ある「生活保護受給者」から聞いた話

堺市長選挙、案の定竹山現職が当選されましたね。
個人的には「なんだかなぁ」と思いますが、これが選挙というものですし、何とか期待を持ち直し、頑張って戴きたいなと思っています。

 

さて、ところで。
生活保護の「生活扶助」部分の見直しがざくざく進行しているようです。

生活保護といえば、いつも思い出すことがあります。
ずいぶん前の、一人の生活保護受給者との短い邂逅です。

私の中に、その方に抱いた感銘が、長く強く残っています。
例の「芸人さんのお母様が生活保護受給者だった」という話に世論が湧いていた時からずっと、どうしても引っかかって仕方ありません。
確かに「不正受給」の方もおられるでしょう。
ですが、あの騒動以来、「生活保護受給者=ズルして税金泥棒」みたいな偏見が強くなっているように見受けられるのが、残念です。
それで、この思い出を書くことにしました。

 

****

 

その方は、20代も半ば過ぎくらいに見える女性でした。

ある日の午後、とある電車の中で、恥ずかしながら私はそのとき、せっせと化粧をしていました。
次の用事のためにどうしてもフルメイクをする必要があったのだと思いますが、とにかく内心冷や汗をかきながら、さっさと手早くしなければ…と必死でした。
便せんに何枚も何枚も何かを認めていた隣の女性が、何度かちらちら見てくるのを感じ、「本当にごめんなさい…」と恥ずかしさに縮こまっていました。
すると、その女性が私に話しかけてきたのでした。

「あの、すみません」
と言われ、「きたっ!」とドキドキしつつ「はい…」と答えた私に、彼女は言いました。
「さっきから、じろじろ見ていてごめんなさい。私、化粧品がすごく好きで、他の方がお化粧されてるのを見ると、ついつい見てしまうんです。
そのアイシャドウ、すごく可愛いですね」
予想と180度違う展開にものすごく驚きながら、「これですか?ご覧になられます?」と取り出すと、
「見せて戴いていいんですか?!わぁ、ありがとうございます!」
と喜んで受け取られ、しばらく(いわゆる女子の)化粧品談義をしました。
「元気」という風ではないけれど、とても素直で明るい感じのする方だな、と思いました。
(話の最中、「こんなところでメイクしてて恥ずかしいです、ご迷惑かなぁとドキドキしてました、ごめんなさい」と謝ると、「えええ!!全然!!むしろ見せて戴いて嬉しいんです~!」とあっけらかんとおっしゃっていました。ほっとしました…)

そして彼女は、自分の話をし始めました。
もう詳細は忘れましたが、それはそれはもう、「不幸」ってこういうことかと思うようなお話でした。
本当に詳細は忘れてしまったのですが、たとえば「母は男をつくって逃亡、父は殴る蹴る、兄は性的暴行、で自宅軟禁」とかそういう感じの。
(それこそネットではよくある話ですけどね…生の目の前の人の口から語られると、簡単に同情できないほど凄惨ですね)
そして彼女は思春期以降深く心を病んでいるそうです。(病名も忘れました。)

家を出たくて仕方なかったが、当然親兄弟は閉じ込めて絶対出してくれないので、お金を稼がねばならない。
ところが、精神疾患のため、まず面接に行けない。長く外出も出来ない。
が、家にずっといられる訳もない。

それで、精神科の主治医のはからいで、生活保護を受けて独り暮らしをすることとなった。

彼女は言いました。
「最初は、なぜだか、家を出られる訳がないし、出てはいけないと思っていたんです。出たいんだけど、出ちゃいけないって」
「だから、先生に『出た方が良い』って言われたときも、結構長く渋ってたんです」
「でも、ずっと治療を受けて、ずーっと『出た方が良い』って言われ続けて、だんだん『そうなのかな』と思い始めて、大決心しました」
「家を出ないと治らない、って言われたんです。でも、父も絶対ダメって言ってたし。私が決心してからは、もう生まれて初めて大反抗して、すっごいケンカして、むりやり押し切って、先生にも手伝ってもらって、やっと出たんです」
彼女はそう、静かに伏し目がちに、でも少し晴れやかに誇らしげに、微笑みながら言いました。

「私を救ってくれた精神科医の先生は、高齢で退職されてしまったので、別の所をその先生から紹介してもらいました」
「でも、私はその前の先生が本当に好きで、大好きだから、お願いして、『おとうちゃん』って呼ばせてもらって、暇があったらこうして手紙をたくさん書いているんです」
「たまに、おとうちゃんが会ってくれて、私が化粧品好きだから、デパートとかの高いのじゃないけど、ちっちゃい安いのとか、たまに買ってもらったりして」
「おとうちゃんに会うのが本当に嬉しくて楽しくて」
“おとうちゃん”の話をしているときの彼女は、本当に本当に嬉しそうで、心から慕っているんだなということがとてもよく伝わってきました。
彼女にとってはその元医師の老先生が、彼女が本当に心を許して甘えられる、正に「娘」にとっての「お父さん」なんだろうなぁと。

「いまは、週何回(筆者が忘れました)、通院するので精一杯で、働くなんてまだ全然できません。でもリハビリだと思って、その週何回かだけは頑張って必ず出て、長く外にいるようにしてるんです」
「でも、こうして、外に出られて、1人で暮らせて、家にいても嫌なことも誰にもされなくて。おとうちゃんもいてくれて、好きな化粧品も、ほんとにたまにちょっとだけでも、買えて」
「ほんとうに、前のことを思ったら、こんなに幸せでいいのかと思うんです。ほんとうに幸せで、ありがたくてありがたくて」
「私みたいな何もできない人間のために皆さまの税金を使って戴いて、こんな思いをさせてもらえてるなんて、本当にありがたいんです」
「私は全然まだまだ汚い人間で、ものすごく人を恨んだり憎んだりしてきたし、今でもそういう気持ちがあるんです。私は誰よりも地獄を見ました。それは自信があります。」
「だから、自分が世界中で一番不幸だっていう気持ちがあるんです。心のどこかで、まだそう思ってしまってるんです」
「でも、今はまだそうでも、こうして皆さまのお陰で生かして戴いていて、だからそういう気持ちも少しずつ消していかなきゃ、って思うんです」
「おとうちゃんも『もう長くもないだろうけど、生きてる限りはいてあげる』って(笑)言ってくれてるし、こうやって皆さまに生かしてもらって支えてもらってるんだから、いつか返せるようになるのか、それもまだ分からないけど、それでも少しずつでも頑張っていこう、って思うんです」
「ほんとうに、ありがたいんです」

彼女は、確かな口調で、深い声で、輝いた表情でそう言ったのでした。

 

****

 

その時も思いましたが、今こうして書いてみて改めて、「なんでまた、一期一会の通りすがりにここまで話をされたのかなぁ」と思います。
彼女の生活を慮るに、きっと話し相手がまずいないのでしょうね。
もちろん、精神疾患で、心のバランスを欠いている=対人関係の距離感が多少違う、というのもあるのかもしれないですが。

この時こうしてお話しただけの、まったく文字通り「一期一会」でした。特に連絡先を交換した訳でもありませんでしたし。
(ネットで言うところの「釣り」だとか、単なるオーバーな作り話だとか、そういうことではなかったと思います。「天性の大嘘つき」とか「虚言癖の愉快犯」ではなかったのかと問われると、絶対違うとは言い切れない訳ですが。)

しかし、「袖触れ合うも他生の縁」と申します。
本当に、この女性のお話は、私の中に深く刻まれました。

もし万が一、彼女の身の上話が作り話だとしても。
きっと、この話が「真実」である人は、この日本の中にはいるのだと、私は思います。

「家族による扶養義務」が強化され、「水際作戦」が行われ易くなったとき、彼女のような人は一体どうすればいいのでしょう?
DV被害者である妻たちは?

そしてまた、「生活保護」は「セイフティネット」です。
セイフティネットがセイフティネットたりえるためには、「無差別平等」である必要があります。
「確かに百歩譲って、筆者の書いたような人には生活保護受給する権利があるだろう。が、違う事情の人は受けるべきではない」
…つまり「生かして良い人悪い人」を自分の価値観で選別する権利は、少なくとも私にはありません。そんなもの、持ちたくもありません。
あなたは自信を持って、その権利を持ち行使できますか?
(裁判官や死刑執行の命を下す大臣ですら、個人的にその権利を持っているのではありません)

 

最後に、私が彼女の身の上話を真実のものだと感じている理由と、最も感銘を受けた点を述べて終わりにしたいと思います。
彼女の、「人を憎み恨む気持ち」の告白についてです。
これは別に、私からその点について質問した訳ではありません(終始聞いてるだけでしたし)。
彼女が自ら話しました。

精神疾患を患った人が、その原因を自分ではない誰かの言動に求め、その結果その人を心底憎み、恨む。
そして、「患っていない人」=「元気な人、輝いて見える人、幸せそうに見える人」を羨み、妬み、どうして自分はそう在れないのかとほぞを噛み、自分を責め、そして何かの拍子にその人たちに憎悪を向ける。
決して珍しくない心性です。
深い怒りを押し殺し続けた人ほど、回復の過程で通る心性なのではないかと思います。
(「地獄を見た」と言った時だけ、彼女が「怒りのマグマ」…それこそ「地獄の釜の中」にあるような…に包まれた気がしました。まだまだ全然、生傷は癒えていないのだな、と思いながら、彼女の意識のフォーカスをそれまでの話に戻した記憶があります)
が、この思いについての自省を自発的に言える人というのは、本当に患い、本当に苦しみ、本当に「なんとかそこから出よう」と努める人だけだろうと思うのです。

彼女の苦しみは本物なんだろうと思う所以です。
彼女はそれを、恐らくは、「自分は嘘臭くとられるであろうほど今の状況に感謝しているが、嘘でもないし、逆に単に心清らかなのでもないのだ」と伝えたくて…そして「だからこそこの状況への感謝は本物なのだ、少なくとも自分にとっては本当にありがたいことなのだと信じて欲しい」という思いから…言ったのではないかと、その時受け取りました。
しかしそれでも、ふと「怒り」「苦しみ」の部分に触れるとそこに囚われそうになるんだろうなと、だからきっと、感謝の気持ちに自分でフォーカスするよう言い聞かせ心がけてもいるんだろうなと、そう思いました。
今思い返しても、その印象は変わらず鮮やかです。

私は、そのとき、感謝の思いを強く伝えようとした、そして葛藤を組み伏せようと壮絶に闘う、彼女というその人、その生きざま、人柄に、深い感銘を受けたのでした。

正直、「ものすごい人に出会った」「私なんて本当にちっさくて全然ダメだ」と揺さぶられました。
彼女のことは、いつも心の中のどこかで生き続けていて、たまにふと思い出すと「私もしゃんとしないと」と背筋を正されます。

 

生活保護受給者は、「だまくらかして濡れ手に粟」と黒い笑いを浮かべている人だけではありません。
こうして、「皆さまのお陰で生かして戴けている」と、心から感謝しながら、出来ることを少しずつ広げていこうと頑張っている人も、他にも沢山いるのだと、私は信じています。

生活保護がそのまま、「生命活動を続けること」に繋がっている人が現実にいるのだ、ということを、どうか、(とうにご存じであろう専門家だけではなく)一般の方々にも、頭と心の片隅に留めておいて戴けたら良いなぁ、と私はそう願っているのです。

 

もう何年も何年も前の話でした。
今頃彼女は、どこでどう暮らしているのかなぁ。
きっと、一筋縄や一本道ではいかない、起伏激しいwinding roadを、一生懸命歩んでらっしゃるんだろうなぁ。
途中で死を選ばずに、今も生きていて欲しいなぁ。
少しでも元気になっていたらもっと良いなぁ。
どうか、彼女と、日本中にいるのであろう彼女のような方々が、少しでも多くの幸せを感じながら生を過ごしていかれますように。


【堺市長選挙】現職市長竹山氏に対して怒っています。

写真 (25)

 

ごめんなさい。
当ブログのタイトルは「Loveful」なのですが、怒りのポストとなります。

私は2011年からの堺市民です。
今回初めて堺市長選挙に投票せねばなりません。

いま、現職・竹山おさみ氏にとても腹が立っています。
今回の選挙活動を見る限り、「市民のことを馬鹿にしている」と感じるからです。
この選挙を馬鹿馬鹿しいものだと感じ、馬鹿馬鹿しいものとしているのは現職市長だと考えるからです。
なぜ私がそう感じるかを書いてみたいと思います。
(※先に断っておきますが、私は橋下さん大好き維新賛成でもありませんし、同時に橋下さん嫌いでも維新反対でもありません。いわゆる「浮動票」に属します。)

 

上掲画像は、自宅に入った選挙公報です。
まずこれを見てみたいと思います。
ご存じのとおり、現職無所属・竹山おさみ氏と、大阪維新の会・西林克敏氏の一騎討ちとなっています。

横に長いスペースを、
・竹山氏はほぼ3:3:4に
・西林氏はほぼ2:6:2に
分割して使っています。
両者とも、中央部分をマニフェストに使っています。

このマニフェスト部分だけを見てみましょう。
書き抜いてみます。

《竹山氏》
「堺ビジョン1・3・1 ~竹山おさみマニフェスト~」
1.堺の「自治」を守れ!STOP大阪都構想
3.堺・3つの挑戦 市民とともに取り組む3つのプロジェクト
①子育てのまち堺 ~命のつながりへの挑戦!
②歴史文化のまち堺 ~魅力創造への挑戦!
③匠の技が生きるまち堺 ~環境都市への挑戦!
1.市民が安心、元気なまち堺

竹山氏は「大阪都構想反対」しか言っていないと感じます。
最後の「市民が安心」云々、こんなものはマニフェストではなく、政党ポスターのキャッチフレーズか何かでしょう。
「3つの挑戦」なるものも、具体性がまったく見えません。「匠の技」が「環境都市」に繋がるところにいたっては飛躍の間を埋める理屈の想像もつきません。
現状をどう捉えていて、それをどうしていこうというのか、それを示すのが行政構想に基づいた選挙公約というものだと思うのです。
竹山氏の「マニフェスト」から伝わるのは、「現状=維新に乗っ取られようとしている」「それを防ごう」だけです。
「防げた後はどうするの?」という問いには、誰でも…普通に義務教育を受け生活している大人なら、日本中どこにいる誰でも…思いつくようなことしか言っていません。

これが現職の市長なのです。
私には、「4年間何もやってきませんでした。過去からあるもののキープに思考停止で励みました。次の4年もそうします。」という風にしか見えません。
「自分がいかに堺市のことを知り、考えているか」「4年間の実績のアピール」「それらの総括」「これを受けて次の4年で進めること止めること」といったアピール、現職が再選を狙う場合、普通はするものじゃないんですかね?
有権者として現職に私が聞きたいのは、普通は求めずとも聞かされるであろうこういうアピールであって、こんな中身のないゴタクではありません。

一応、西林氏のマニフェストも挙げておきます。

《西林氏》
維新・堺八策 真の「自由と自治のまち」”堺”を目指して。
1.大阪都の実現 …広域行政の一元化
2.堺まちづくりグランドデザイン …都市再生・交通ネットワーク構築
3.区民主体のまちづくり …区長を選挙で選ぶ
4.堺経済の活性化 …大阪都市圏一体での観光戦略
5.子育て世代の支援強化 …習い事クーポンの実施
6.住民サポートの充実 …高齢者サポートの拡充
7.教育改革 …中学校給食の導入
8.行財政改革 …機能する役所へ
(「…」は筆者が追加しました)

別にこれらの「策」がものすごく良いとは思いませんが、マニフェストとして「普通」「当たり前」の体はなしていると感じます。
維新だとか現職だとかを完全に外して、この中央部分だけを取り出して見たら、西林氏の方が普通に「堺市のことを考えてくれているんだな」と感じます。

 

次に。

一番左のブロックを見ます。(実際の初読時にはまずここから見ました。)
この選挙公報を見るとき、恐らく通常、視点は左から右へ流れます(横長スペースですので、いわゆるZの動きの初めの ̄ の分しか動かないでしょう)。
ですので、デザイン上、一番訴求したいものをここに持ってくるのだろうと考えます。

《竹山氏》
大阪府:橋下知事時代も借金増!
5.8兆円(橋下知事就任前)→借金6.3兆円!(H24年度)

大阪市:バブルの負の遺産も手つかずの
借金4.9兆円!


全国政令市トップ3 健全財政の堺市
堺市の黒字が借金の穴埋めに…

それでも一緒になりますか?
大阪都構想では、大阪府・市の膨大な借金を健全財政の堺が一緒に背負うことになります。

(図を筆写がテキストベースに書き換えました。)

選挙的に、これは訴求力がありますねぇ。
誰だって、自分の税金がよその借金の補填に使われるなんて嫌ですもの。

…で、これだけなんです。

これを読んで、上述・中央部分のマニフェストを読むと、「この人はとにかく、大阪都構想に飲み込まれないことしか考えてないんだなぁ」という思いがいや増します。

「維新が当選しなければ、別に貴方でなくて良い、むしろ貴方じゃない方がいいです。」というのが正直な思いです。

 

これは、国政選挙ではなく、あくまでも市長選挙なのです。
投票権は、堺市民にしかありません。
市民が市政に期待して選ぶのが市長選挙です。
府政国政における維新や橋下さんの動向を占うために投票するのでは、決してないのです。

地方自治体の首長や議員の選挙が国政動向に強く関連づけられて語られることは、現実的にはとても多いです。
他の政党においても、その地方自治体の民のためにではなく、自分たちのために、このように地方自治体を「使おう」とする例は枚挙に暇がなく、もはや「当たり前」ですらあります。
私はそれにも賛成はしませんが、今回はましてや「大阪都構想」がかかっているのだという点を鑑みれば、維新の行動にも思いを譲るところはあります。

ですが、現職市長がそれにノって良いとは全く思いません。
現職市長が市民生活についてつぶさにしっかり地に足着けて考えるのでなければ、彼の役割とは一体なんなのでしょう?
侵略者から守りさえすれば、彼の役目は終わりなのですか?それなら現職でなくとも「3人目の新人候補者」で十分です。
twitterで橋下さんを叩く、大阪市内であり堺市の土地からすら離れた難波で演説する、すべて「維新を潰せ!」の号令の乗っかっているだけではないですか。
せめて、選挙活動期間に入ればもう少しまともに振舞うかと思っていたら、この選挙公報です。
竹山氏は、一体誰のためにものを考え動いているのでしょう?市民のためだとは全く思えません。

 

こんなことで、自分が選ばれると考えている市長は、市民を全く馬鹿にしてナメきっているとしか思えないのです。
目先の急進的改革派抵抗勢力への抵抗感を煽るだけで自らの立ち位置は安泰だと考えていると、こんなに大っぴらに表明されるなど、愚弄されているとしか思えません。

政治家が民をナメるのは今に始まったことではありませんが、ここまで遠慮なしにやられるとさすがに黙っていられません。
市民はもっとそこに気づいて怒るべきだと思います。

 

 

現職が、現職だからこその武器をすべて放棄して、対維新の風のみで選挙に勝とうとしている動機はいったいなんなんだろう?という疑問すら湧いてきます。
維新以外の政党がバックについたから、市民よりそちらを見ざるを得なくなってる?
単純に、とにかく選挙に勝ちたいだけの人?そういう「政治家ごっこ」をしたい「政局好き」さん?
橋下さんに前回選挙を無所属初当選させてもらったのに反旗を翻したら、こういうことになるのは分かってた訳なんだから、まっとうな「仕事」の部分で選挙戦を勝つ準備なんかいくらも出来ただろうに、しようとしたけど無理だった?(=市長不適格?)それとも虎視眈々と、他の政党への根回しに励んでただけ?

…別に、こんなうがった見方しかしなかった訳じゃないのですが、今回の選挙活動を見る限りでは良い点が見つけられないのです。

しかし、私もどちらかに投票せねばなりません。
残念ながら。

判断材料を探さねばならないので、ネットでマニフェスト詳細を探しました。

《竹山氏》
HP→竹山おさみ連合後援会
マニフェスト→竹山おさみ・マニフェスト(pdfファイルです。HPから飛びました。ver.1となっていますが、改訂版があるのかどうかは知りません)
※HP、サイドバーは充実してますが、肝心の中身はありません…。

《西山氏》
HP→堺八策―大阪維新の会 副幹事長 西林克敏
マニフェスト→維新・堺八策

中身を開いて読んでも、選挙公報の印象が変わりません。残念です。

そんな訳で、以下のことをするしかなさそうです。
・「堺の健全財政」の中身の検証
・大阪都構想の精査と
・「堺の自治が奪われる」の実態の検証

 

まあ、不勉強な有権者としては、「怒り」と「義務の遂行」という気乗りしない負の理由が元だとしても、こうして勉強を強いられるのは良い機会だということですね。
自分の権利を正当に遂行したいので、頑張ります。

(でもきっと、現職当選だと思います。むしろその得票差について注視したいと思います。)

 


【手づくり】穏やか癒し系パワーストーン三連ブレスレットをつくりました

自分用に、天然石ブレスレットをつくりました。
嬉しいので、盛大に書きます(笑)。

天然石ブレスレットを創りたい方、チャンルー風ブレスレットを創りたい方に参考にして戴けることが書けたかな…
製作に至るまでと製作中のプロセスで、考えたことやったことなどを思いつくままに詳細に書きました。
下の方には使用天然石の情報もありますので、興味のある方どうぞ。

写真 (16)-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなものです。
一緒に写っているのは、メダイに付いていた、「St.Raphael the Archangel」のカードです。

反対側はこんな感じ。

写真 (19)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三連、というか、一連+二連、といった風情です。

 

1.作ろうと決めるまで

ここのところずっと、「オレンジ色」がすごく気になっていました。
瞑想で意識することが多かったり、「今必要なのはオレンジだよなぁ…」と思うことが多かったり。

オレンジ色は、第2チャクラ(おへその下)の色。
肉体的地上的な事柄に属し、生きる・生活する上での創造性を司ります。

元々下の方(第1~第3チャクラ)が非常に弱いタイプなのです。
が、長い間、まず第1チャクラ(赤)の問題…動物として「生きる」ことの根本的な部分…と、第3チャクラ(黄)…社会的な自己、自信、自分自身であること…にフォーカスしていて、オレンジは後回しでした。
弱いのは分かっていたのですが、そこまで手が回らなかったわけです。

それが最近、いつものように第1チャクラにフォーカスしても、何か違う。
第3チャクラの不調(具体的には胃炎ですが)が繰り返し強く出るのだけど、どうも第3チャクラだけへのフォーカスでは足りない。

一方で、プライベートでは「何かを創りたい」欲求がどんどん先走るし、仕事でもワクを壊す自由な発想と実現への行動力の必要を強く感じる。

なるほど、とうとう第2チャクラに取り組む時がきたのか…!
と得心した次第。
スピリチュアル系に取り組み始めてだいぶ長いですが、日々の変化と伴走させながら長くやっているとこんな風に変わってくるものなのですね。面白い。
自分としては、「永遠の課題」とも思われた第1チャクラにフォーカスしない日が来るなんて、思ってもみませんでした(笑)。

そんな訳で、日常的にもオレンジ色を意識できるように、周囲の物について考えてみた訳です。

確かに、万年筆を使う時でも、過去にないくらいオレンジ色インク(今はペリカンのマンダリン、セーラーのアプリコット、ラミーのオレンジ、家人のオーダー品オレンジ色辺り)を多用しています。
が、その他には…と探すと、意外なほどオレンジ色の物を持っていません(苦笑)。
実は、オレンジ色って、苦手というか、嫌いというか、抵抗感が強くてちょっと嫌な色なのです。
「このオレンジはなんだかねっとり嫌らしい」とか「このオレンジは軽薄」とか、何かと荒探しをしたくなる色なのです。
つまり、課題として表れていない、というよりは、むしろ課題として取り組むのを嫌がっていたのですね~。

まあそんなこんなで、「手軽に日常でオレンジを意識するには…」と考えた結果、「ブレスレットを作ろう」と思い立った訳でした。
テーマは「創造性の解放・自分の中にいる子供を遊ばせる」です。

 

2.石やパーツを選び、デザインを(おおまかに)考える

しかし、オレンジ嫌いのせいで、またオレンジ色の石のストックの貧弱なことで(苦笑)。

イメージとしては、オレンジカルサイトの色なんて良いなと思っていたのですが、これのビーズは持っていません。
(と言ってもカルサイトは弱いので、ブレスレットにするにも自分のワークに使うにも、不適ではあります。)
アラゴナイトも今回は何となく違うし…。

などと、チャネルしながら選んだ結果、

琥珀4.5mm、ペリドット5×2.5mm、ボツワナアゲート4mm、淡水パール3mm、ヒマラヤクオーツ6mm

となりました。
…なんというか、当初のテーマとかけ離れたラインナップに唖然…(笑)。

自分用アクセサリーにはほぼ必ず組み入れるメダイまで、大天使ラファエルが出てきました。
もっとこう、子供心っぽい、明るくポップできゃっきゃと笑い声が聞こえるようなものをイメージしてたのに…どこまでも穏やかな癒し系…!(笑)

まあ、こういうことは、「チャネルで製作」ではよくあることです。
現状の自分の「創造性開花」には、まず固く強張ったものを癒しほどくプロセスが必要なのでしょう。

 

が、しかし、頭を抱えました。

ごろんごろんとした大きな石を、ゴムで組んで着けるのが、自分の常なのです。
こんな小さな石ばかりのブレスレットなんて、組んだことがありません。
円周大体16cm=160mmとして、50粒とか60粒とか…いつものように1つ1つためつすがめつ選んで並びを整えて…?
想像しただけで、途方もなくて目が回ってしまいます。
いつも使うゴムでは、ペリドットと淡水パールが通せないという大問題もあります。

これはないわー、ないわー、とうんうん唸った結果、どうやら流行らしい「チャンルー風」を参考にアクセサリーぽくしよう!ということにしました。
ちょうど、いつも着けてる革ブレスがだいぶへたって取り替えたかったこともあり、革ひもを使うチャンルー風なら一石二鳥です。
しかも、全て家にある物で作れる!まあ素敵!

 

作り方は、こちらのサイトを見ました。
貴和製作所 Online Shop レシピNo.725 スワロフスキー・エレメント新色の革ヒモブレスレット

ナチュラルカラーの革丸ひもなら昔使った残りがあったはず…と探してみたら、140cmも無くてがっかり。
二つ折にして手首に巻いてみたら、一連でちょうどぴったりの長さだったので、主役にしたい琥珀とペリドットだけを組み入れることに決定。
但し、ボタン側の処理をレシピ通りにする余裕はないので、ここの処理は変えました。
ビーズステッチ用糸はちょうど金を持っていたのでOK。
金は第3チャクラの色。これで全ての中心を貫いていくというのが、今回は気に入りました。
パールとボツワナ、ヒマラヤクオーツの配置はブレスレット本体部分が出来上がってから考えました…計画性などありません(笑)。
唯一心配なのは、このパールとボツワナアゲートの部分の強度ですが、ビーズステッチ用糸は結構強いと信じて(実際わりと強いと思うんですけどね)、穴には4本通すことにして、後は事故のないようお祈りです(苦笑)。
ボールチップで本体に留めつけることにして、OKとします。

 

3.つくる:チャンルー風デザインは作りやすい!

上掲レシピに従って「チャンルー風」を組み上げるのは意外に簡単でした。
端糸の処理に戸惑ったかな…。よく分からないので、結局強く留まれば良いんでしょとばかり、革ひも両方に2回ずつ結びました。
本体の長さの真ん中くらいから端(革ひもの結び目)に向かって組んでいって、糸端処理部分がちょうど革ひも結び目のところに来るように、結果的には出来上がりました。
なので、粗い処理ですがあまり目立たないし、まあ自分用なので良いかと(笑)。
私は不器用ですしアクセサリー作りに慣れてもいないので、こんな適当ですが、そんな私でも形にはすぐ出来たので、チャンルー風ブレスレット作りはお勧めです。
ちゃんと三連になる長さを用意すれば、もっとカッコイイ素敵なものが出来ますし。

ビーズステッチ用の針は、針穴が小さい(ほぼ針と同じ太さ)のと、よくしなるのが特徴です。
こういう作業には本当に使いやすいのでお勧めです。

 

4.つくる・2:天然石ビーズの穴がひどく小さいので

今回、一番苦労したのはペリドットでして…。
こういう、希少で割れやすい石の小さなビーズの穴は、本当に細かったり不揃いだったりすることがとても多いです。
希少だから普通の大きさのビーズでクオリティの高いものなんて、なかなか買えないお値段ですしね…(苦笑)。
(ムーンストーンもこういう例が多いと思います。)
使いにくいと知りつつ、しかもお値段辛いと思いつつ(苦笑)、それでもせめて…!とこのビーズを購入してありましたが、やはり使いにくくて出番がない…。

今回は、仕方がないので、リーマーで穴を広げながら作業しました。
指先で様子を探りつつ、少しずつ少しずつ、穴を削って大きくしていきます。
糸6本(2本取り×2+針穴から折り返してある部分の2本)+針の太さ、の全てが楽に通り抜けられる大きさまでです。
無理に通そうとすると、糸が切れたり、石が割れたりします。が、最終的に通るのは糸4本のみですので、緩くなり過ぎないようにも気をつけます。
リーマー使用時には、一気に広げようとしないこと。石が割れます。
また、両方の穴から広げ進めますが、進める方向がナナメにならないよう気をつけること。丸いビーズなら穴同士が出会わなかったり、こういう薄いビーズでも中が広がりすぎて結局割れたりします。
なので、ひとつひとつ、丁寧に丁寧に、削りながら作業を進めます。
め、面倒くさかった…!!
リーマーは便利ですが、やっぱりこの手間はかけずに済むならかけずに済ませたいです、はい。

 

5.つくる:石の選定・構成・配置・向きの決定などの天然石を扱う時のプロセスについて

石の並びに関しては、今回はいつもほどには厳密にやっていません。
どの石を使うかは、いつも通りにやりましたが、配置の決定にかける部分を相当緩くやってます。
最終的に完全な円にはならない(端と端が繋がらない)ので、ピアスやストラップなどと同様、一方向にエネルギーが流れるかどうかだけ考えれば良い部類に入れると判断。
また、ビーズの穴同士も繋がらないので、穴の向きもそこまで厳密にはこだわらなくて良いだろうと。
と、普段よりかなり緩いスタンスで始めました。

そうすると面白いもので、これも最近のテーマである「委ねる」「ありのまま・あるようを受け入れる」感覚が自然に引き出されますね。
また、アクセサリーを創るんだという気持ちがいつもより強かったのと、特にボツワナアゲートに色んな色があるのとで、視覚もいつもより使いました。(普段のブレスレット製作では、視覚情報はほとんど使いません。)
「見る」ということの書き換えが少し掴めて楽しかったです。

全体的な構成として、「数」は意識しています。
1パート目:琥珀5、ペリドット3(6)、琥珀1、ペリドット3(6)
2パート目:琥珀5、ペリドット1(2)、琥珀5
3パート目:ペリドット3(6)、琥珀1、ペリドット3(6)、琥珀5
の左右対称です。真ん中が足して11になってるのもポイントです。
あくまでもテーマに沿いたかったので、奇数をがんがん取り入れています。
リーダーシップ、自立の「1」、子供心の「3」、冒険の「5」、マジシャンの「11」。
ここに、調和の「2」と、協調性・ヘキサグラムの「6」を忍ばせてあり、今の自分としてはかなり気に入った配置と数になりました。
(ちなみに「2」「3」「5」「11」はそれぞれ自分のバースナンバーに関連の深い数字です)

 

6.それでは最後に、使用したパーツの説明を

《琥珀》
基本的には胃のチャクラ(黄色)に属します。
体の滋養に。
自信も育みますが、たとえばルチルクオーツのような「弾けるようなぴっかぴかの自信、他を圧倒する、カリスマ性」などというよりは、もっと穏やかで底光りするような、普段意識されずとも手応え確かな「自分を信じられる心」というものです。
自立心を自然に育てるようにも思います。
非常に静かで穏やか・かつパワフルなパワーストーンです。

《ペリドット》
エメラルドの代用となります。
第3のチャクラ(ハート)。心の癒しに。
オクターヴなエネルギーが特徴的です。
心の癒しと言いつつ、マラカイトのようなディープなトラウマ解放によるヒーリングとか、アマゾナイトやアベンチュリンのような不透明の石の持つ「地に足着いた穏やかさを与える」というのとは少し違いますね。
一言で言うと、「高次からのエネルギーを通す、ハートの詰まりを取って洗い流し、愛を芽吹かせる」という感じでしょうか。
トラウマや心の傷絡みで言えば、「ありのままに俯瞰することで受け入れる」のを促すことを得意とすると思います。

《ボツワナアゲート》
アゲートらしい穏やかさ、優しさを持つ石です。
「母なる大地」という言葉を想起する、母性溢れる石です。
このビーズは小さいので、どの色が出ているかでどのチャクラに働きかけるのを得意とするかが変わると思いますが、基本的には第1チャクラと第4チャクラでしょうか。
優しく優しくグラウンディングを促してくれる石です。
「大地と強く結び付く」というよりは、「丁寧に日々の暮らしを慈しむ」とか。プランターの鉢植えを毎日世話して愛でるような、そういうグラウンディングですね。

《淡水パール》
これも優しいですね。
泡から生まれたアフロディーテにも関連し、女性性の純潔な部分や女性らしい愛情に働きかけます。

ボツワナアゲートと合わせて見ると、ちょうど「母性と女性性」「海のものと山のもの」「確かなものと流れるもの」という対になっているのが面白いです。
また、どちらも「白」ですが、白は一応第7チャクラ。けれども、上に繋げる・通すというよりは、自分を包む「アストラル体」とでも言いましょうか、そういうところ全体に働きかけるように思います。

《ヒマラヤクオーツ》
水晶です。
あらゆるノイズの浄化、変容の促進などに強く働きます。
かなり強い石なので、スポンジ体質の方はエネルギー酔いにご注意ください。
私は修行で滝に打たれているような感覚をいつも持ちます…。
フラワーエッセンスならヒマラヤンのニジャラに似た感覚でしょうか…霊峰ヒマラヤってすごい。
透明なので、第7チャクラということになりますね。が、透明なクオーツに関しては、どのチャクラにポイントという感じをあまり持ちません。
とにかく浄化、そして「核を入れ込む」作用が強力だと思います。

《大天使ラファエルのメダイ》

写真 (17)-2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カトリック教会で購入。
私はメダイが合う体質のようなので、使用することが多いです。
が、大天使ラファエルは初めてなので、これからじっくりお付き合いをしようと思います。

パールとボツワナ&ヒマラヤクオーツの連を、メダイに付いていたカンでまとめてあります。
革ブレス本体には留めていないので、着けていると自由に動きます。
カンが少々小さいので、今後別のものに取り換えるかもしれません。
また、留め具のボタンとメダイがちょうど真反対に来るので、回ってもどちらかが見えている状態になるのが気に入っています。

余談ですが、これも割と長いこと、大天使ミカエルとの親和性がとても高かったのです。
が、どうも最近違うのですよね…ラファエルさまばかり。やはり人生のステージが大きく変わったようです。

《月光荘のボタン》

写真 (18)-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回一番のポイントは、これかもしれません(笑)
創作意欲の中でも、絵を描きたい!描けるようになりたいっ!…という思いが特に強いですし、可愛いボタンで気に入っているので、今回の留め具はこれに即決しました。
やっと使えて良かった(笑)。
いつか、月光荘の画材を当たり前に使いこなせるようになりたいものですね…。
これは小さい方のボタンで、カンがついていません。
ボタン穴には革ひもが通らなかったので、ワイヤーで革ひもを固定してあります。

 

7.着けてみて

久々の天然石ブレス、石の選定や配置にいつもほどの気を配っていないので心配でしたが、着けてみるとさすがに強いです。
ヒマラヤとペリドットで頭がくらくらするのですが、ボツワナと琥珀のお陰でそこまで振り回されずに済んでいます。
最近本当に胃が良くないのですが、くらくらが収まると胃にものすごく来るのが「やっぱり…orz」という感じで面白いです。

実は、出来上がってみたら「思ったより地味だなぁ」とがっかりしていました。
が、シルバー×ピンクゴールドの時計と合わせて着けてみるとなかなか華やかで嬉しいです。
普段は相当カジュアルにしてますが、パールやメダイは時計のドレスアップ感と、革ひもやボツワナ・他石は服装のカジュアル感とよく合って素敵♪と自画自賛(笑)。
つくる→自画自賛で嬉しいというのは、素人クラフト欲の大きなエネルギー源だと思うので、その意味では「自由に創造を楽しむ」のテーマに正にぴったり合ったかも(笑)。

手づくりの秋ですし、皆さまもどうぞクラフトお楽しみ下さいませ~。

 

*本記事投稿2時間後、追記

リクエストを戴きましたので、装着時の写真をアップします。

写真 (23)-1

写真 (24)-1

単体で着けた図と、時計とともに着けた図です。

メダイが重いので、気がつくと手首側に回っていたりします。
また、ボツワナ&パール部分は長めなので、手首に結構垂れます。糸なので柔らかいですし。
その時には、ちょうど反対側にある月光荘ボタンが時計のフェイス側に来ます。

おまけ。
メダイの裏側には薔薇があります。

写真 (22)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

糸の長さとメダイの重さで、メダイが結構自由に動きますが、裏返っていても気になりません。
こちらも好きなので、むしろ嬉しかったりします(笑)。

 


【観た】風立ちぬ ~社会の中で夢を生きるということ

今更ながら、観てきました。今夏一番の話題作「風立ちぬ」。

感想は、一言、「素晴らしかった」。これに尽きます。
普段めったに「今すぐもう一度観たい!」とはならないのですが、今回は、昔の映画館みたく入れ替え制じゃなければこのままもう一回観られるのに…と思いました。

「魔女の宅急便」が小学校5年生?6年生?の時の公開で、公開前から熱狂的に情報を集め、映画館では3度は観た覚えがあります。
ナウシカとラピュタは残念ながら金曜ロードショーばかり。
以降、ジブリ作品は、宮崎監督作品だけは全て観ていますが、私の中で最も好きな宮崎映画は長く「天空の城ラピュタ」でした。
(ナウシカは漫画版は大好きです。)
が、今日、燦然と輝いてきたラピュタの牙城が崩れました。
宮崎作品の中で1番を争う作品ができた、のみならず、全映画の中でもかなり上位に入ると思います。

以下、その他思ったこと感じたことを詳しく。
若干ネタばれがあるやもしれませんのでご注意を。

****

冒頭、夢から始まったのが意外でした。

メーヴェ、フラップター、ほうきのどれとも違う、でもどれも思い出す飛行。
キキの旅立ちを彷彿とさせる画面は、意図されたものなのか否か。
判別する術は持ちませんが、しかしあの地中海に浮かんでいるような、そして古いロスアンゼルスのような、からっと乾いた古き良き景色ではないことが、懐かしさと新鮮さを同時に味わわせてくれました。
また、宮崎監督が今まで描いてきた「日本の森・田園風景」とは全く違う、「生活感」というリアリティに溢れた田園風景。

ここから少年期の終わりまで、緑色ばかり観ていました。
里山や田畑、木々はもちろん、飛行機のボディ、柱の陰翳、雲の影、本当に至るところに緑色が使われていて、緑色を見なかった瞬間はなかったのではないか。
ああ、緑色とは「夢」の色なのだなぁと思いました。
希望を育む心の色。
緑色の豊かな表情が本当に美しかった。

全体を通して、これまでの宮崎作品を想起するシーンや登場人物、カット…「セルフ・オマージュ」とでもいいましょうか…もあり、しかし観た事のない・予想もしなかった宮崎作品でもあり、今まで埋められず気づきもしていなかった心の隙間に、温かい水がゆっくり沁み入るような感覚があって、不思議でした。
物語としては、今回が最も「ドラマ」少なく感じます。そこがいつもと全然違う。
でも、すべてのピースが収まるべき所に収まり、その結果思いもよらなかった豊潤な世界が現れています。

残酷な夢を背負い追って、人は生きる。

その姿に…その姿をまるごと肯定する視線に…後半は涙が止まりませんでした。
悲しいのではなく、切ないのでも痛いのでもなく、ただただ心が震え続けました。

****

以下、余談。

私事ですが。
私の祖父は、大阪で育ちました。
恐らく、堀越二郎よりも少し若かっただろうと思うので、関東大震災では被災していないと思うのですが。
成績優秀だった祖父は、「船をやりたかった。でも京大には船がなかった」という理由で、今の東京大学に進み、造船に携わりました。

私の思い出にある祖父は、既に定年退職した後の祖父ですし、戦争のことを語りたがらない人だったので、祖父の船への思いはとうとう聞かずじまいでした。

映画の中で、成長した二郎が汽車で向かった先が東大であったのが分かって以降(「本郷の学校に向かう」というセリフから)、軽井沢での恋に至るまでの間ずっと、二郎の言うことやることの一つ一つに祖父を重ねて観ていました。本庄との交友にも、「祖父も若い頃はこんな風だったのかな」と思いました。
火災が起きたら、何よりも資料を救うことを当然とする姿勢。
何カ国語も操り、音楽も文学も一通り身に着けている教養の高さ。
目上のものへの敬意や礼儀を欠かさず、しかし己の本分には悪びれもせず忠実にまっとうしようとする態度。
軍機作りに携わっているため徴兵されない「身分」。

正直に言って、飛行機としてのゼロ戦や航空技術には全く興味がありませんし、持てません。
むしろ、「きっとあの祖父も、こんな風だったのだろう」と思い至り、祖父もこんな時代をこんな風に過ごし生きたのだろうと比定しながら観ることで、非常に身近な気持ちを感じ続けていました。

私の知る老いてからの祖父を、何十年も若返らせて想像しても、十分に納得感を持てるものであり、また逆に、若かりし頃の祖父に想いを馳せられる時間をこんなに長く与えてくれたことに感謝の念を抱いています。若かりし頃の祖父について「教えて」くれたことについても。
しかし、当時のインテリゲンチャの在り様には本当に頭が下がりますね。

そんなことを思って観ていた私の耳には、庵野秀明の台詞は違和感がありませんでした。
むしろ、人物にリアリティを感じました。
上手いか下手かは知りませんが、「確かに現実に、こういう人、いそうだし、いる」と思えました。
(西島秀俊もまた別の意味で、非常に魅力的な人物を好演し、「こういう人、いるいる」感を出していましたが。)

妻となる菜穂子は確かにナウシカやシータ、或いはクラリスのよう。
でも、一番近いのは、島本須美が声を引き継いだ、トトロの姉妹のお母さんのイメージかも。

他の声優陣(というか、俳優陣)もとても良くて、幸せでした。
情報を全然仕入れていなくて、エンドロールでびっくりしたのですがね…(苦笑)

****

宮崎監督が本当に引退されるのかどうかは知りませんが、本作を観ると、納得がいくような気もします。
同時代で宮崎作品を味わえるように生まれたのは僥倖だと、本当に思います。

なんとか、もう一度、映画館で観ておきたい映画です。
(こんなのは、すごーーーーく好きな、「スター・ウォーズ エピソードIII」以来です!)


「新月の願いごと」の星座別キーワードについて

 

8/7、 6:51、獅子座で新月です。(が、最初からボイドですので御注意を。)

一応毎月twitterで、新月に関するお知らせを流しているのですが(たまに抜けます)、そこで必ず加えているのが「(新月が起こる)星座のキーワード」。
これについて、書いてみたいと思います。

占星術の世界では、星座(宮)が司る事象があるとされています。
抽象的・精神的なことから非常に具体的な事柄、また肉体の部分など、それをどの宮が司るか振り分けられている訳です。

「新月の願いごと」においては、新月の起こる宮(星座)が司る事象に沿う願いにフォーカスする方がより叶いやすいとされています。
それで、参考までに流している次第です。

過去の「新月の願いごととは」という記事では、「宮(星座)が司るテーマに敢えて沿うことで、ひとつの願いをあらゆる側面から眺めることが出来る」のがお勧めだと書きました。

 

もうひとつ、宮のテーマを意識するメリットがあります。
1年の中での自分のエネルギーの流れが掴めるようになることです。

テーマを大切に扱うようになってしばらくすると、「自分の興味・関心の向かう方向が、自然にテーマに合っている」ことに気付くようになります。

自分を例に出します。
今回の獅子座のキーワードは「自尊心、強い精神力、大胆さ、自信、自己表現、意欲、生命力、明朗さ。権力、華やかさ。創作。趣味、主体性。また、心臓、背中。」などなど。
ここ半月ほど、私がずっと考えているテーマはまさに、「自己表現、創作、主体性、意欲、生命力、大胆さ」などのことです。
こういったことごとは、私にとっては、特に常日頃年がら年中考える種類のことではないのですが、振り返れば夏ってだいたいこういうこと考えてるんですよね。
また、6月終わりに書いたヘルスケア記事からこちら、背中はこの半月くらいで目に見えて楽になってきています。

こういった「シンクロ」事象のメリットは、
・1年のバイオリズムを掴みやすくなる→使いやすくなる
・シンクロが上手く起こっているかどうかを、自分の精神状態把握のひとつの指針とすることができる
の2点です。

バイオリズムが掴めると、色々便利です。
「星々の影響を受けている自分」に気づけて受容できると、その波をうまく活用できます。
1年の計画や見通しを立てる際に有用だと思います。

また、シンクロが起きている状態にある方が、流れに反するエネルギーを使わず、むしろ追い風に吹かれて楽に物事を進められます。
なので、シンクロチェックをしておくと、流れを読める精神状態に自分があるかどうかが自己診断でき、対処できるようになります。

流れが読めると、色々楽です。「今は流れが来てないな」と思うときには頑張るのをやめて待機し、流れがきたときにすっと乗る、ということが出来ると、がむしゃらに押す必要がなくなります。
人事を尽くして天命を待つのはとても大切ですが、人事のみで無闇に頑張る必要もないだろうと私は思います。

新月のタイミングで、シンクロチェック=精神・気持ちの状態のバイタルチェックをするのは、分かりやすくてオススメです。

余談。
日々にできるちょこっとチェックとしては、「適当に駅に行ったら待たず急がず電車に乗れた」とか「普通に歩いていたら信号が上手く変わってくれた」とかがよく言われることですね。
私は母親譲りの「サクラ体質」なので、「がらがらのお店で居心地悪いなと思っていたら他にもお客さんが入った」「混み過ぎて嫌だなと思ってたらどんどん人が出ていった」が割と優秀チェッカーです。人それぞれ何かそういう「サイン」を持っていると思うので、日々ちょっと探してみると良いと思います。

 

ところで、自分のホロスコープを知っていますか?
人さまのホロスコープ(バースチャート)は鑑定できなくていいと思いますが、自分のバースチャートはよく知っておくと誰でも何かと便利です。

今回の獅子座、私の場合はASCが入っていて、かつ土星が合という、結構重要な星座です。
なので、もともと獅子座のエネルギーを感受しやすいのだと言えます。
逆に、星がひとつも入っていない星座の司る事象や事柄は、私にはなかなか感受しにくいのです。
その星座のテーマそのものを元々あまり持っていないというか…アンテナが「向かない」というよりは、アンテナが「ない」のですね。
そういった濃淡みたいなものを知っていると、尚良いと思います。

「新月の願いごと」をより積極的に活用したい方、ぜひどうぞ。
※私は以前はバースチャートの有料鑑定を引き受けていました。今は特に募集はしていません。でも観て下さる占星術家さんは山ほどいらっしゃるので、ご興味のある方は探されると良いと思います。チャートを作れるアプリなどもありますが、読むにはちょっと勉強が必要です。

 

また、余談。
新月だけではなく、よくある「週間星占い」や「月間」「年間」etc.なんでもそうですが、星の影響が出る時期=占いが当たる時期が、早い方、遅い方、個々人それぞれ結構違いがあります。
私はかなり早いタイプで、週間だと、「未来を当てる」はずの占い記事が、「既に起こったことの後追い確認」になることもよくあります(笑)。
さすがに年単位でずれることはあまりないとは思いますが、数日レベルならよくある話です。
「全然当たらない~(でも興味がある)」という方は、自分の「当たる時期(=星の影響が出る時期)」を観察してみると良いかもしれません。


親の所得格差が子どもの教育格差に直結している現状について

「親の所得格差が子どもの学ぶ機会の格差を生む -今こそ街中に寺子屋を」(Wedge Infinity)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2959

この記事が問題としている「経済(所得格差)=教育格差」となる現状については、私もモヤモヤしている。

以前にもtwitterにて呟いたが、一億総中流時代の終焉は小泉政権当時に喝采をもって受け入れられ、以降、「所得格差=教育格差」は加速度的に所与のものとなっている。

安倍政権下でさかんに打ち出されている「教育のグローバル化」「留学推進」「英語教育」等々、個人的には「そんなに良いものか?」と疑念を抱いている。理由はいくつかあるが、本記事で考えたいことに沿ってひとつ挙げれば、「この恩恵を享受できるのは富裕層の子女だけ」で、「親の所得格差を乗り越え、子が富裕層に入る」ことをいっそう難しくしていくだけだと見ているからだ。

育英会奨学金の返済にまつわる困難・トラブルが社会問題化してきていると見受けられる言説もあったりして、どうにもこの「所得格差=教育格差」問題は、放置で良い案件ではない気がしている。

そんな折なので、上掲記事タイトルには強く興味を惹かれて開けた次第。
だが、読んでみて、一層モヤることになった。

「モヤっている」がこの記事を書く動機である。
脳内を走る全でのことを書くことはしないが、いったんここを使って書けることだけでも書いてみることを通して、考えてみようと思う。
なので、長い上にとっちらかってます。しかも検証などしてません。すみません。

 

私は現在、小さな学習塾に専従している。

弊塾には「職員室」がない。教室もひとつきり。
そして、生徒は基本的にほぼ毎日通塾する。
現在、夫と私の2人で全てを回していて、我々は毎日、生徒1人1人の学習進捗・習熟度や人間性の成長・変化、状況や体調の把握に努め、適宜声掛けや対話をする。
保護者との二者面談や、生徒本人を交えた三者面談も、業界内で比較しても相当の頻度で行い、その上に希望されれば対面や電話での面談にもいくらでも応じる。
ちょうど上掲記事で言う「ナナメの関係」が出来ているなと感じる生徒も、常時複数人はいる。
その上で、学習塾なので当然、成績の向上を図る。受験合格を図る。

我々は今現在、これに専従し、これで生計を立てている。

私個人として言えば、これらのことを全て、本業を別に抱えながらボランティアでやってくれ、と言われると、だいぶ辛い。
(夫がどう感じるかは、話し合っていないので知らない。)
片手間ではここまで出来ない。
一個の自分とは違う人格であり存在である「生徒」と、自然発生的ではないうえに深い人間関係を構築しながら向き合い、(たいていは生徒本人にとってとても嫌な)努力に向かわせ伴走する、というのは、それなりに大きなエネルギーを要する。

だが一方で、常に、生徒の家庭の経済事情と向き合っているのも事実である。
本当は、対価など気にせずに、生徒に提供してやれるもの、生徒に必要だと思われるものは何でもいくらでも提供してやりたい。

「教育に金がかかる」ことは、私にとって日常的かつ根本的なジレンマである。

教育に、それ自体は無償であっても専従できる環境づくり(労力がほぼ不要な収入源が別に出来るなど)が出来れば、全て一挙に解決である。
が、自分の、マネタイズに関する無能さ故にそこにはなかなか至れずにいる。

 

だが、一方で、「では世の中における、”対価発生”の理屈・仕組みとはなんだろう?」という疑問も出てくる。

端的に、「それで食ってればプロ」という定義がある。
これは裏を返せば、「プロの技術を受けようとすれば、対価は発生するのだ」という考え方でもある。
それでいけば、ボランティアで勉強を見てやるなどというのは、「ナナメの関係」を築くには良いかもしれないが、「教育格差是正」効果はいまひとつ信頼できない。
「義務教育分の勉強くらい、大人なら誰でも見られる」なんて大ウソだからである。
現役大学生でも、無理な人は無理だし、無理な人は山ほどいる。

対価の発生が、教える側の責任感を強化する、という側面もあるだろう。
対価を支払っていないサービスに対しては文句は言えない、という感覚は、資本主義社会で育ち生きる社会人であれば割と共有されているものであるように見受けられる。
それが「正しい」在り様かどうかは別として。

また、その「ボランティア」の選別をするのは誰か、という問いも出てくる。
ここで危惧するのは、「”善意にみえる”不特定多数のボランティア」が子供と直接接触できる場というのは、本当に利益しか生まないのか?ということだ。
子供と接触したり、子供を預かったりするときに一番恐れるのは、事故だ。それが起こってしまった時、誰がどう責任をとる?
あるいは、そのボランティアが実は善意の人ではない場合には?
通常、ボランティア絡みで何か悪いことが起こった場合、社会的な責任追及の矛先はボランティアには向かないだろう。監督者・責任者に向く。
それを引き受けるのは、一体誰だ?
金銭対価が全く発生していない場所で、責任所在を明確にするのは、一般社会においては難しい(学生サークルなら可能だろうが)。責任を負うのは「リスク」だからである。それもこの場合、非常に社会的なリスクである。
低リスク低リターンか高リスク高リターン、どちらを好むかは人それぞれだが、リスクに見合ったリターンを見込めない場所でリスクだけ取ろうとする人は、普通あまりいない。

そして。
今まで挙げたような、ネガティブな要因・リスクの他に出てくる問い。
「教育のプロ」とはなんだろう?

上掲記事で言う「教育」とは、具体的に何を指しているのだろう?
情操教育、人間教育?教科学習に関する教育?

弊塾で行う「教育」ははっきりと、「教科学習に習熟し、受験で合格すること」と、「教養をつけ、思考能力と想像力・応用力を伸ばし、自分と他者と世の中について自分の心と頭で考え、行動・努力できる人間になること」を目指している。この2つは相反しない、どころか、同時進行で相乗効果が得られる。
我々夫婦が共有している価値観の大きなものの一つがこれであり、だからこそ私たちは「生徒たちから見えない”職員室”」の無い場所で、生活と人生を載せて学習塾をやっている。
それでも、世論を様々に見ながら常々自問自答している。「教育とは一体なんだろう?」と。

だから、上掲記事の筆者に問いたい。
「ボランティアによる街中寺子屋を沢山作ろうとよびかけて、そこに集まるであろう子供たちに渡したいものは何ですか?それは、”所得格差=教育格差”問題の是正に繋がるのですか?」と。

「自分さえよければとは思えない」人々の「善意」で社会問題を何とかしよう、と言うだけの上掲記事内容は、問題解決の構造作りの端緒としてのみにおいて見ても無理があると私は思う。
美しくはあるが、現実的には少なくとも「決め手」になるとは思えない。

マインドはともかく経済の仕組みとしては明らかに資本主義社会である日本で、教育だけをカネの流れから完全に独立させるのは不可能だ。
そして、「所得格差=教育格差」というのはつまり、そのカネの流れに大きく乗れる保護者の子供が、対価分だけの「プロの技術」を享受できる、ということに他ならない。
金銭対価によって、技術を磨く必要に迫られ、責任放棄を難しくさせられている社会人或いは法人・団体を相手に、善意だけで十分対抗できたという例が一般的になるとは到底思えない。
教育を「安かろう悪かろう」にしないためには、携わる人間の技術は必要不可欠なのだ。

この方法を「所得格差=教育格差」状態の是正に繋ぐとしたら。
法人(恐らくはNPO法人になるだろうが)が社会的責任を担って運営・統括・推進し、かつその営みが広く一般に知られる程度には知名度を得ることだろう。そこでは行政へのロビイイングも含めた様々な運動が必要だろうし、大勢のボランティアを、技術的に訓練させ、継続的に束ね動かす人材マネジメント的スキルが必須だろう。また、寄付を募る・基金やファンド(クラウドファンディング的な緩いイメージであって、経済金融で言う「投資ファンド」ではない)を創る、或いは全く別のマネタイズ手段を編み出すなど、別口からの金銭収入の確保も必要だろう。
壮大だ。壮大だが、社会問題を何とかしようとすれば、いきおい壮大にならざるを得ないのだろうなぁ。

と、今はここまで。
もう少し考えてみる。


肩の凝り過ぎで肉離れ?!を精油で手当て。

昨日から、背中~肩にかけての激痛に悩まされております。

ちょっと首を動かしたら激痛。
ソファにもたれてて姿勢を直したら激痛。

肩こりもここまで来たか…と感心しつつ、痛い痛いと顔をしかめていたら、家人から「それは肉離れだ」と指摘されました。
20代からたまに悩まされている肩の痛みと同じだ、とのこと。

帰宅後にモーラステープを貼りつけてもらったら、それはそれは気持ちが良くて安心していたのですが…
一晩経ったら単なるテープに成り下がり、予想されたことではありましたがかゆくなってきてしまいました。
テープを取ったら、背中の上半分がどんどん痛くなってきて、吐き気はするわ、生命エネルギーを奪われるわで(苦笑)、こりゃダメだと。
そこで、精油の出番です。

使用したのは
・クリーム基材 20mlくらい?
・カモミール・ローマン(鎮痛・鎮静) 3滴
・カモミール・ジャーマン(消炎) 3滴
・グレープフルーツ(循環促進) 5滴
・サンダルウッド(鎮静) 5滴
※参考にされる方は、自己責任でお願いします。
これはだいぶ高濃度です。真似はオススメいたしません。

カモミール・ローマンは個人的に「伝家の宝刀」精油。
昔から、もっっっっのすごく効くのです。
自分の性質は、鎮静欲求高めがデフォルトなようで、この精油はそこを狙い撃ち・ノックアウトしてきます。
あんまり効きすぎてしばしば正体不明に眠りこむので、「リラックスしたいわ~」「よく眠りたいわ~」くらいでは使わない、自分禁忌な精油です。
が、今回は痛みがシャレにならないので、伝家の宝刀を抜きました。
とっても使いにくい(自分に対しては)、でもものすごく信頼している精油です(笑)。

今回のブレンドでは、温・冷は考えていません。
時期としてはそろそろ温める方向に持っていっても良さそうなのですが、体感ではまだ早い。温めると痛みが長引く。
が、ここで冷ますと逆に予後が長引きそう。
全体的には結果としてやや冷の方向に向いていますが、ミント系やマジョラムなどを避けたのはそういう時期的な判断のためです。
(クリームは最低数回は塗布できる量で作ったので、夜か明日朝にはマジョラムを足すと思います。)
昨日は「ペパーミント絶対入れる!」と思ったのに、あらためて体とは、刻々と変化する不思議なものですね(笑)。

吐き気がありましたが、これも考慮していません。
(敢えて言えば、グレープフルーツが吐き気軽快に働いてる、かも?)
肩首背中の凝りが吐き気を引き起こしているので、前者を収めれば後者も勝手に収まるため。
吐き気が後を引くようなら、別途レモンを胃・みぞおちに塗布します。(ついでに嗅いでおくと良いかも。)

とりあえず、塗って10分ほどで、患部周辺の「つられて痛くなっている」部分(広かった!)はかなり大人しくなりました。
それとともに吐き気もかなり軽快。
さすが伝家の宝刀、期待通りの良い仕事をしてくれます。
このまま本丸・患部までじわじわ切り込んで欲しいところです…が、やっぱり夜にはマジョラム追加かなぁ…。ゼラニウムも足すと良さそうな予感。
生命エネルギーがだいぶ足らなくなった感じがするので(笑)、レモン+マンダリンでもお腹に塗っておこうかしら、という感じです。

ところで、肉離れってスポーツやり込んでる人にしか起こらないものだと思ってました。
家人によれば、「運動しなさすぎ」でも起こるのだとか。
凝りすぎ→固まり過ぎ→何かの拍子にぴきっと損傷、という流れだそうな。
そういえば最近、肩凝りがほんとキツくて「今すぐ鍼刺して!」と何度も思ってたな…(トオイメ
再開したはずが3日坊主になってるヨガをやっぱりちゃんとやろう、と反省しました…。


【読んだ】ブラックジャックによろしく(1~13巻)

「差別」問題って難しいよね。
…と、いつも思うことを、「ブラックジャックによろしく」で再確認。

「差別は人を傷つけるからいけない」それはそうなんだが、被差別者当人が感じる「差別」にはもっと具体的なことも含まれる。
就業とか各種免許取得とか家探しとか結婚とかその他日常生活を営む上でのいろいろな具体的な困難や不利益。

それらが変わるには、人を啓蒙し理解を促し「同じ人間だ」という心根をつけ…etc.
確かにそうなんだが、そういう風に「気持ちが変わる・見方が変わる」ことが起きれば、勝手に社会は変わるのかというとそういう訳でもない。
なので、社会を変える=法規制や運営システムを変えることと両輪で回すことを、活動されてる方なら誰でも考えるだろう。
「世の中そういうもの」と思われるような状況になれば、人の意識は勝手に変わるというのもまた真なので。

しかし、これを積極的にやろうとすると「権利」の理屈を使わざるを得ない。
ここで「強硬に権利を主張して奪いとろうとする」と、(あるいはそうしようとしていると判断されると、)反発が起きる。
「変わることを求められている側」は「変わりたくない」…それが既得権益の毀損を恐れるためであっても、単に「人間は変化を強いられるのが嫌いだ」という点からの防衛反応であっても。
そして、やがて勝ち得た権利を受益するのであろう側すら、強硬手段によって、(一時的にでも)非難や批判が集中する状況に陥るのを恐れる。

「差別」というのはとても社会的な問題で、社会では自他の損得が拮抗する。

たとえば、企業における障害者のための雇用枠の存在。
この枠を満たすと企業にはお金が入る。
結果的に障害者雇用の道が開かれる。
ここまではいい。

必要となる「障害者」の認定には3つの種類がある。知的、身体、精神。
この中で、身体障害者の方が、精神障害者よりも、この雇用枠の恩恵を享受できる可能性が高い。
身体障害者はIQにも問題がないし、心や性格の方にも問題がない。物理的な困難へのサポートは必要となるであろうが、雇えばちゃんと出社するだろうし、話も通じるだろう。精神障害者はそこが「アテにならない」。来るか来ないか分からないし、急に途中で帰ったりするかもしれないし、それを(「障害者枠」で雇ってしまっているから)咎めることもできない。結果、払う人件費に見合うだけのパフォーマンスが得られるかどうか分からない。が、雇う以上は「アテにならないから責任ある仕事は任せられない」とも言えない…そんなことをすれば早晩「ブラック」と騒ぎ立てられるだろう。

という話があったりする。統計は知らないし、権威や学識ある論説なのかどうかも知らない。ただ「そういうものだ」と常識的なるものと語られる精神科医療の現場をいくつも知ってるだけだ。

これは、障害者の中でも特に精神障害者が差別されている、という事例なのだろうか?
YES、とも言える。精神障害者は「病気になっただけの人」であるので、雇用に関してこのような格差を設けられ結果的に不利益を被るいわれはない。彼らにも、自立して生計をたて、人生を営む権利がある。
が、NO、とも言える。たとえば…自分の都合で会社に来たり来なかったりする人間は、企業にとっては人材価値として低い。利潤追求とそれを通した社会貢献が本題であるのが民間企業で、その使命を果たす活動に参加し、貢献した分給料を払われるのが被雇用者。そこで信頼を得られない人間は雇わない、というのは健常者であっても同じこと。「勝手に休むバイトならクビにするでしょう?」というのは企業側の理屈としてはもっともだ。…あるいは…「いや、しかし病のために一時的にそのような状態になっているだけの人なのだから、むしろチャンスの場を作るべきだ」というのなら、本書でさんざん言われる「精神障害者は可哀想」という「差別的目線」と何が違うのか、という理屈を持ちだすこともできる。…などなど。

私には、このどちらに与すべきなのか分からない。

結局、民主主義社会の中では、人心の多数決の問題に帰するので、やはり意識啓発啓蒙と事例づくりによって「社会を変える」のが一番実効性のある方法なのだろう。
この「事例づくり」の地道な努力の部分が全く描かれていなかったことによって、「ブラックジャックによろしく」精神科編の説得力は著しく下がる。まあ、もっといえば、統合失調症のみにケースを絞った時点で、「精神障害者への差別問題」への説得力はほとんど無いに等しいのだが。
なので恐らくは、「差別問題」をテーマとして取り上げた、「人間の命の重さ」のみを謳うエンタメなのだろう、という評価に落ち着く。

そこで、思う。
精神障害者をバカにするなと。
ある一面的なイメージだけを投影して「ステレオタイプな精神障害者」を描き上げ、彼らの苦しみを他のテーマを謳う材料としか扱わないのは、作品を世に問う人間として最低の下劣な行為だと思う。

私はたまたま精神科医療の方面にある程度の経験や知識があるのでそう感じるが、他の科の物語に関しては分からない。ガンにも不分明だし不妊治療や超未熟児のことも分からない。
だから、それらに関してはごく普通の漫画として読了した。へええ…で終わった。次はどうなるんだろう、という興味で13巻分ページをめくった。
毒にも薬にもならない商業エンターテイメント劇画。まあまあ不味くもない「brain candy」。というのが、今回の評価。
あれだけ売れてドラマにもなった作品なので、この観点では悪くない作品なのではないですか?それ以上の意味があるとは思えないけど。


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