セラピスト業

女体礼讃

昔から、「大浴場」が苦手でした。

他人様の前に裸で出るのが、いたたまれませんでした。
どう振舞えば良いのかも分かりませんでした。

そして、特に年上の…或いは大人の…たくさんの女性達が開け広げな様子で動き回るのに非常な戸惑いを覚え、まったく身の置き所のないような気持ちになるのでした。

元来、自分が動く様子を見られるのが嫌いな子供でした。歳が上がるにつれ、その度合いは強まっていきました。
視線に曝されるのも苦手でした。ただ視線を受け止めてそこに在る、ということができず、言葉を繰っていれば安心していられるのでした。

思う考えることが生来好きで得意だったというのも手伝ったでしょうが、それを表現することによって、見られ方を制御したいという欲求の強さ・制御が可能であるという(誤った)自己防衛が、言葉を繰る動機の半分だったように、今振り返れば思います。

なぜだか知りませんが、「自分の姿はみっともない」という羞恥・自責が強かったようです。
本心本音であれ、裸の生身であれ。

後年、枕を共にした男性に体を見られることには抵抗がなくなります。
それでもやはり、大浴場は苦手でした。
すべてをさらけ出した関係の中では裸でいることも平気なのでしょう。
そして私は、「何を見られても良い」と思える関係を、長い間、恋愛にしか求めなかったのでした。

 

アロマセラピー・トリートメントをやるようになって、2つの大きなことに気が付きました。

ひとつ。女性の体はすべからく美しいということ。

うつぶせになった女性の、背中から腰、腰からお尻へと続く、まろやかかつダイナミックな曲線は、大変に美しいものです。どんな体型の女性でも必ずそうです。施術に入って、毎回はっとさせられます。
男性が女体を好むことが多いのも頷けます…この曲線は、恐らくはどんな男性も持ち得ない、女性だけの特別なものです。

そしてまた、トリートメントを施術する際、クライアントの肉体を見る目線は、身体・精神の癖や不調・停滞・過活発、また加減などを見極める、極めて冷静なものであり、そこに「スタイルの良し悪し」への判断は(私は少なくとも)全く含まれません。
その目で見ると、「その人の肉体がこう在る」ことへの畏敬の念ばかりが溢れてきます。
多少バストが豊かかそうでないか、ウェストのくびれがどの程度のものかなど、ごく瑣末な表層でしかありえません。
その人の肉体的造形は、まず人間であるということ、それから遺伝・環境・ご本人の生活ぶり・心持ちなどなどの総体として表れているものであり、そこには「この人が精いっぱい、持てる中で生きてきている」ことの証拠だけが燦然と積み上がっているのです。

もうひとつ。しかし、世の多くの女性は、トリートメントされるために脱衣することに強い抵抗を覚えるということ。

私がどんなに上のようなことを述べたところで、その抵抗・羞恥心が崩れることはありません。
それらは全く「その人自身の思い」でしかなく、対象者はほとんど関係が無いのです。

 

今日は、いわゆる「スーパー銭湯」に行ってきました。
今でも決して、寛げるだけの場所ではありません。

ですが、今日もしみじみと思いました。
やはり、どの女性の肉体も、すべからく美しい。

まだ「女」とは言えない子供ののびのびした肢体。
若い女性のきめ細かではじけるような肌。
母親である人の堂々とした乳房と腰つき。
老いた方々の年輪刻まれた体躯。
すべてに宿るのはただ「生命力」のエネルギーです。

皆、飾るものを脱ぎ捨てて、まったく同じ裸になって、それぞれにそれぞれのやり方で湯浴をする。
いいじゃないか!素敵じゃあないか!

今再読中の「一無庵風流記」の中に、「どんな人間でも死ぬときは皆同じなのが痛快だ」という意の述懐が出てきます。
それを思い出しながら、しかし、と考えました。
現代でなら、この光景だって、十二分に皆同じと言えるよなぁと。なんという平和でしょう!
そして、「窓ぎわのトットちゃん」に出てくる「はだかんぼのプールの授業」では、正にこの光景この気持ちのことが語られていたのだなぁとも。

裸の付き合いなどとよく言います。
身も心も、やはりまだ「全く抵抗がない」とは言えません。
長年培った自意識の壁は、そう脆いものでもないのです。

が、初夏の日差しの露天風呂で、大らかな…あまりに大らかな…女たちの素っ裸の楽しみを眺めていると…
「すべからく美しい」の中には自分ももちろん含まれているのだよなぁと。
そして、ちょうど慶次郎のように、この人たちに交じりつつ、思うように好きに動けば良いんだよなぁと。
そんなことがしみじみ感ぜられて、子供用に山ほど泳がせてあったアヒルと存分に戯れてみたのでした。


【仕事】パワーストーン・ブレスレット オーダー納品

久しぶりに、天然石ブレスレットのオーダーを戴き、先日納品しました。

 

今回は、こんな仕上がり。

大きなピンク色の石は、ローズクオーツ。14mmの玉です。
他、エンジェライト、ロードナイト、ハウライト、アンバーの組み合わせ。

珍しく、天然石以外のものも組み込まれましたので、アクセサリー感の高いブレスレットになりました。

 

私がオーダーを受ける場合、ご予算とサイズ(手首径)以外の情報は必須ではありません。
勿論、ご希望の「効果」や色、石、デザインなど、あればお訊きしますが、必ずしも必要ではないです。
お名前も(製作には)必要ではないと言って驚かれたことがあります(笑)。
さすがにまだ経験はないですが、性別も多分あまり必要でないと思います。

石の選定から配置、向きまで、全てチャネリングで製作しますので、どんなものになるか、ゴムを通すまで私にも分かりません。

ブレスレットの形に仕上がると、そのブレスレット特有のエネルギーがぱぁーっと現れるのが、毎回楽しみです♪

オーダー下さった方ご自身のお手元に無事届き、着けられると、私も驚くほど石が活き活きするのが、私の作るブレスレットの特徴だと思います。
ブレスレットの完成は、お客様が着けられたとき、なのですね~。

リペアで戻ってきた石を見ても、ものすごくよく「働いている」のが分かるので嬉しいです。生命が感じられる、というような。

 

余談ですけれども。

石は、それそのものでもそれぞれ固有の波動を持ち、個性を持っていて、生き死にや元気・不健康もあります。
が、持ち主のエネルギーの影響を強く受けて変化もします。

植物でしたら、それ自身で生長もしますし死にもします。
石は、育つにもとてもゆっくりですし、もちろん磁場や土地のエネルギーのようなものを受けないことはありませんが、どこかやはり静かでゆっくりで、落ち着いた、地球的・大地的な…「変化」と人に感じられるほど「速く」ない…波動が、その身上なのでしょうね。

そういう性質を持つ「鉱物」が、人間の、とても速く強い、変化のエネルギーに影響されて、性質を力強く発し始める、というのが、とても面白く感じられます。

 

そんな訳で、きっと今回のブレスレットも、お客様の許で、私が知らないような姿を見せているんだろうなぁと思います。
想像すると嬉しいですね♪

 

ブレスレットの形に組み上がったら、対面で渡せない場合には、詳細な解説書を添付します。
上で書いたようなプロセスを踏むので、カードを読むときと同じように、この石この配置の解説を詳述します。
また、手入れ等の方法もお伝えします。

この「解説書を書く」段階では、ブレスレット製作時よりは左脳を使いますが、タロットなどと同じように「卦を読む」という感覚なので、とても楽しい作業でもあります。
ここまで来てようやく私にも「ああ、こういうことなんだなぁ」と諒解されることが多く、気持ちも落ち着きます。

 

「その人のために作る」というのが好きなので、どんどん製作して売るということはしていません。
オーダーを戴いたそのときに、その方のためだけに精緻に組む、というやり方ばかりで何年も来ています。

なので、天然石ブレスレット専門でやってらっしゃる方に比べると、どうしても機会は少なくなります。
今回、久しぶりに機会を戴いて、大変楽しかったです♪♪感謝ですね!本当にありがたい限りです。

もう少し、石と遊ぶ機会自体は増やしたいので、何か良い方法はないかしら…と考えている最中です。

 

*個人に繋がる一切の情報を伏せる、という条件で、今回掲載をご了解戴きました。


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