雑感

ある「生活保護受給者」から聞いた話

堺市長選挙、案の定竹山現職が当選されましたね。
個人的には「なんだかなぁ」と思いますが、これが選挙というものですし、何とか期待を持ち直し、頑張って戴きたいなと思っています。

 

さて、ところで。
生活保護の「生活扶助」部分の見直しがざくざく進行しているようです。

生活保護といえば、いつも思い出すことがあります。
ずいぶん前の、一人の生活保護受給者との短い邂逅です。

私の中に、その方に抱いた感銘が、長く強く残っています。
例の「芸人さんのお母様が生活保護受給者だった」という話に世論が湧いていた時からずっと、どうしても引っかかって仕方ありません。
確かに「不正受給」の方もおられるでしょう。
ですが、あの騒動以来、「生活保護受給者=ズルして税金泥棒」みたいな偏見が強くなっているように見受けられるのが、残念です。
それで、この思い出を書くことにしました。

 

****

 

その方は、20代も半ば過ぎくらいに見える女性でした。

ある日の午後、とある電車の中で、恥ずかしながら私はそのとき、せっせと化粧をしていました。
次の用事のためにどうしてもフルメイクをする必要があったのだと思いますが、とにかく内心冷や汗をかきながら、さっさと手早くしなければ…と必死でした。
便せんに何枚も何枚も何かを認めていた隣の女性が、何度かちらちら見てくるのを感じ、「本当にごめんなさい…」と恥ずかしさに縮こまっていました。
すると、その女性が私に話しかけてきたのでした。

「あの、すみません」
と言われ、「きたっ!」とドキドキしつつ「はい…」と答えた私に、彼女は言いました。
「さっきから、じろじろ見ていてごめんなさい。私、化粧品がすごく好きで、他の方がお化粧されてるのを見ると、ついつい見てしまうんです。
そのアイシャドウ、すごく可愛いですね」
予想と180度違う展開にものすごく驚きながら、「これですか?ご覧になられます?」と取り出すと、
「見せて戴いていいんですか?!わぁ、ありがとうございます!」
と喜んで受け取られ、しばらく(いわゆる女子の)化粧品談義をしました。
「元気」という風ではないけれど、とても素直で明るい感じのする方だな、と思いました。
(話の最中、「こんなところでメイクしてて恥ずかしいです、ご迷惑かなぁとドキドキしてました、ごめんなさい」と謝ると、「えええ!!全然!!むしろ見せて戴いて嬉しいんです~!」とあっけらかんとおっしゃっていました。ほっとしました…)

そして彼女は、自分の話をし始めました。
もう詳細は忘れましたが、それはそれはもう、「不幸」ってこういうことかと思うようなお話でした。
本当に詳細は忘れてしまったのですが、たとえば「母は男をつくって逃亡、父は殴る蹴る、兄は性的暴行、で自宅軟禁」とかそういう感じの。
(それこそネットではよくある話ですけどね…生の目の前の人の口から語られると、簡単に同情できないほど凄惨ですね)
そして彼女は思春期以降深く心を病んでいるそうです。(病名も忘れました。)

家を出たくて仕方なかったが、当然親兄弟は閉じ込めて絶対出してくれないので、お金を稼がねばならない。
ところが、精神疾患のため、まず面接に行けない。長く外出も出来ない。
が、家にずっといられる訳もない。

それで、精神科の主治医のはからいで、生活保護を受けて独り暮らしをすることとなった。

彼女は言いました。
「最初は、なぜだか、家を出られる訳がないし、出てはいけないと思っていたんです。出たいんだけど、出ちゃいけないって」
「だから、先生に『出た方が良い』って言われたときも、結構長く渋ってたんです」
「でも、ずっと治療を受けて、ずーっと『出た方が良い』って言われ続けて、だんだん『そうなのかな』と思い始めて、大決心しました」
「家を出ないと治らない、って言われたんです。でも、父も絶対ダメって言ってたし。私が決心してからは、もう生まれて初めて大反抗して、すっごいケンカして、むりやり押し切って、先生にも手伝ってもらって、やっと出たんです」
彼女はそう、静かに伏し目がちに、でも少し晴れやかに誇らしげに、微笑みながら言いました。

「私を救ってくれた精神科医の先生は、高齢で退職されてしまったので、別の所をその先生から紹介してもらいました」
「でも、私はその前の先生が本当に好きで、大好きだから、お願いして、『おとうちゃん』って呼ばせてもらって、暇があったらこうして手紙をたくさん書いているんです」
「たまに、おとうちゃんが会ってくれて、私が化粧品好きだから、デパートとかの高いのじゃないけど、ちっちゃい安いのとか、たまに買ってもらったりして」
「おとうちゃんに会うのが本当に嬉しくて楽しくて」
“おとうちゃん”の話をしているときの彼女は、本当に本当に嬉しそうで、心から慕っているんだなということがとてもよく伝わってきました。
彼女にとってはその元医師の老先生が、彼女が本当に心を許して甘えられる、正に「娘」にとっての「お父さん」なんだろうなぁと。

「いまは、週何回(筆者が忘れました)、通院するので精一杯で、働くなんてまだ全然できません。でもリハビリだと思って、その週何回かだけは頑張って必ず出て、長く外にいるようにしてるんです」
「でも、こうして、外に出られて、1人で暮らせて、家にいても嫌なことも誰にもされなくて。おとうちゃんもいてくれて、好きな化粧品も、ほんとにたまにちょっとだけでも、買えて」
「ほんとうに、前のことを思ったら、こんなに幸せでいいのかと思うんです。ほんとうに幸せで、ありがたくてありがたくて」
「私みたいな何もできない人間のために皆さまの税金を使って戴いて、こんな思いをさせてもらえてるなんて、本当にありがたいんです」
「私は全然まだまだ汚い人間で、ものすごく人を恨んだり憎んだりしてきたし、今でもそういう気持ちがあるんです。私は誰よりも地獄を見ました。それは自信があります。」
「だから、自分が世界中で一番不幸だっていう気持ちがあるんです。心のどこかで、まだそう思ってしまってるんです」
「でも、今はまだそうでも、こうして皆さまのお陰で生かして戴いていて、だからそういう気持ちも少しずつ消していかなきゃ、って思うんです」
「おとうちゃんも『もう長くもないだろうけど、生きてる限りはいてあげる』って(笑)言ってくれてるし、こうやって皆さまに生かしてもらって支えてもらってるんだから、いつか返せるようになるのか、それもまだ分からないけど、それでも少しずつでも頑張っていこう、って思うんです」
「ほんとうに、ありがたいんです」

彼女は、確かな口調で、深い声で、輝いた表情でそう言ったのでした。

 

****

 

その時も思いましたが、今こうして書いてみて改めて、「なんでまた、一期一会の通りすがりにここまで話をされたのかなぁ」と思います。
彼女の生活を慮るに、きっと話し相手がまずいないのでしょうね。
もちろん、精神疾患で、心のバランスを欠いている=対人関係の距離感が多少違う、というのもあるのかもしれないですが。

この時こうしてお話しただけの、まったく文字通り「一期一会」でした。特に連絡先を交換した訳でもありませんでしたし。
(ネットで言うところの「釣り」だとか、単なるオーバーな作り話だとか、そういうことではなかったと思います。「天性の大嘘つき」とか「虚言癖の愉快犯」ではなかったのかと問われると、絶対違うとは言い切れない訳ですが。)

しかし、「袖触れ合うも他生の縁」と申します。
本当に、この女性のお話は、私の中に深く刻まれました。

もし万が一、彼女の身の上話が作り話だとしても。
きっと、この話が「真実」である人は、この日本の中にはいるのだと、私は思います。

「家族による扶養義務」が強化され、「水際作戦」が行われ易くなったとき、彼女のような人は一体どうすればいいのでしょう?
DV被害者である妻たちは?

そしてまた、「生活保護」は「セイフティネット」です。
セイフティネットがセイフティネットたりえるためには、「無差別平等」である必要があります。
「確かに百歩譲って、筆者の書いたような人には生活保護受給する権利があるだろう。が、違う事情の人は受けるべきではない」
…つまり「生かして良い人悪い人」を自分の価値観で選別する権利は、少なくとも私にはありません。そんなもの、持ちたくもありません。
あなたは自信を持って、その権利を持ち行使できますか?
(裁判官や死刑執行の命を下す大臣ですら、個人的にその権利を持っているのではありません)

 

最後に、私が彼女の身の上話を真実のものだと感じている理由と、最も感銘を受けた点を述べて終わりにしたいと思います。
彼女の、「人を憎み恨む気持ち」の告白についてです。
これは別に、私からその点について質問した訳ではありません(終始聞いてるだけでしたし)。
彼女が自ら話しました。

精神疾患を患った人が、その原因を自分ではない誰かの言動に求め、その結果その人を心底憎み、恨む。
そして、「患っていない人」=「元気な人、輝いて見える人、幸せそうに見える人」を羨み、妬み、どうして自分はそう在れないのかとほぞを噛み、自分を責め、そして何かの拍子にその人たちに憎悪を向ける。
決して珍しくない心性です。
深い怒りを押し殺し続けた人ほど、回復の過程で通る心性なのではないかと思います。
(「地獄を見た」と言った時だけ、彼女が「怒りのマグマ」…それこそ「地獄の釜の中」にあるような…に包まれた気がしました。まだまだ全然、生傷は癒えていないのだな、と思いながら、彼女の意識のフォーカスをそれまでの話に戻した記憶があります)
が、この思いについての自省を自発的に言える人というのは、本当に患い、本当に苦しみ、本当に「なんとかそこから出よう」と努める人だけだろうと思うのです。

彼女の苦しみは本物なんだろうと思う所以です。
彼女はそれを、恐らくは、「自分は嘘臭くとられるであろうほど今の状況に感謝しているが、嘘でもないし、逆に単に心清らかなのでもないのだ」と伝えたくて…そして「だからこそこの状況への感謝は本物なのだ、少なくとも自分にとっては本当にありがたいことなのだと信じて欲しい」という思いから…言ったのではないかと、その時受け取りました。
しかしそれでも、ふと「怒り」「苦しみ」の部分に触れるとそこに囚われそうになるんだろうなと、だからきっと、感謝の気持ちに自分でフォーカスするよう言い聞かせ心がけてもいるんだろうなと、そう思いました。
今思い返しても、その印象は変わらず鮮やかです。

私は、そのとき、感謝の思いを強く伝えようとした、そして葛藤を組み伏せようと壮絶に闘う、彼女というその人、その生きざま、人柄に、深い感銘を受けたのでした。

正直、「ものすごい人に出会った」「私なんて本当にちっさくて全然ダメだ」と揺さぶられました。
彼女のことは、いつも心の中のどこかで生き続けていて、たまにふと思い出すと「私もしゃんとしないと」と背筋を正されます。

 

生活保護受給者は、「だまくらかして濡れ手に粟」と黒い笑いを浮かべている人だけではありません。
こうして、「皆さまのお陰で生かして戴けている」と、心から感謝しながら、出来ることを少しずつ広げていこうと頑張っている人も、他にも沢山いるのだと、私は信じています。

生活保護がそのまま、「生命活動を続けること」に繋がっている人が現実にいるのだ、ということを、どうか、(とうにご存じであろう専門家だけではなく)一般の方々にも、頭と心の片隅に留めておいて戴けたら良いなぁ、と私はそう願っているのです。

 

もう何年も何年も前の話でした。
今頃彼女は、どこでどう暮らしているのかなぁ。
きっと、一筋縄や一本道ではいかない、起伏激しいwinding roadを、一生懸命歩んでらっしゃるんだろうなぁ。
途中で死を選ばずに、今も生きていて欲しいなぁ。
少しでも元気になっていたらもっと良いなぁ。
どうか、彼女と、日本中にいるのであろう彼女のような方々が、少しでも多くの幸せを感じながら生を過ごしていかれますように。


【堺市長選挙】現職市長竹山氏に対して怒っています。

写真 (25)

 

ごめんなさい。
当ブログのタイトルは「Loveful」なのですが、怒りのポストとなります。

私は2011年からの堺市民です。
今回初めて堺市長選挙に投票せねばなりません。

いま、現職・竹山おさみ氏にとても腹が立っています。
今回の選挙活動を見る限り、「市民のことを馬鹿にしている」と感じるからです。
この選挙を馬鹿馬鹿しいものだと感じ、馬鹿馬鹿しいものとしているのは現職市長だと考えるからです。
なぜ私がそう感じるかを書いてみたいと思います。
(※先に断っておきますが、私は橋下さん大好き維新賛成でもありませんし、同時に橋下さん嫌いでも維新反対でもありません。いわゆる「浮動票」に属します。)

 

上掲画像は、自宅に入った選挙公報です。
まずこれを見てみたいと思います。
ご存じのとおり、現職無所属・竹山おさみ氏と、大阪維新の会・西林克敏氏の一騎討ちとなっています。

横に長いスペースを、
・竹山氏はほぼ3:3:4に
・西林氏はほぼ2:6:2に
分割して使っています。
両者とも、中央部分をマニフェストに使っています。

このマニフェスト部分だけを見てみましょう。
書き抜いてみます。

《竹山氏》
「堺ビジョン1・3・1 ~竹山おさみマニフェスト~」
1.堺の「自治」を守れ!STOP大阪都構想
3.堺・3つの挑戦 市民とともに取り組む3つのプロジェクト
①子育てのまち堺 ~命のつながりへの挑戦!
②歴史文化のまち堺 ~魅力創造への挑戦!
③匠の技が生きるまち堺 ~環境都市への挑戦!
1.市民が安心、元気なまち堺

竹山氏は「大阪都構想反対」しか言っていないと感じます。
最後の「市民が安心」云々、こんなものはマニフェストではなく、政党ポスターのキャッチフレーズか何かでしょう。
「3つの挑戦」なるものも、具体性がまったく見えません。「匠の技」が「環境都市」に繋がるところにいたっては飛躍の間を埋める理屈の想像もつきません。
現状をどう捉えていて、それをどうしていこうというのか、それを示すのが行政構想に基づいた選挙公約というものだと思うのです。
竹山氏の「マニフェスト」から伝わるのは、「現状=維新に乗っ取られようとしている」「それを防ごう」だけです。
「防げた後はどうするの?」という問いには、誰でも…普通に義務教育を受け生活している大人なら、日本中どこにいる誰でも…思いつくようなことしか言っていません。

これが現職の市長なのです。
私には、「4年間何もやってきませんでした。過去からあるもののキープに思考停止で励みました。次の4年もそうします。」という風にしか見えません。
「自分がいかに堺市のことを知り、考えているか」「4年間の実績のアピール」「それらの総括」「これを受けて次の4年で進めること止めること」といったアピール、現職が再選を狙う場合、普通はするものじゃないんですかね?
有権者として現職に私が聞きたいのは、普通は求めずとも聞かされるであろうこういうアピールであって、こんな中身のないゴタクではありません。

一応、西林氏のマニフェストも挙げておきます。

《西林氏》
維新・堺八策 真の「自由と自治のまち」”堺”を目指して。
1.大阪都の実現 …広域行政の一元化
2.堺まちづくりグランドデザイン …都市再生・交通ネットワーク構築
3.区民主体のまちづくり …区長を選挙で選ぶ
4.堺経済の活性化 …大阪都市圏一体での観光戦略
5.子育て世代の支援強化 …習い事クーポンの実施
6.住民サポートの充実 …高齢者サポートの拡充
7.教育改革 …中学校給食の導入
8.行財政改革 …機能する役所へ
(「…」は筆者が追加しました)

別にこれらの「策」がものすごく良いとは思いませんが、マニフェストとして「普通」「当たり前」の体はなしていると感じます。
維新だとか現職だとかを完全に外して、この中央部分だけを取り出して見たら、西林氏の方が普通に「堺市のことを考えてくれているんだな」と感じます。

 

次に。

一番左のブロックを見ます。(実際の初読時にはまずここから見ました。)
この選挙公報を見るとき、恐らく通常、視点は左から右へ流れます(横長スペースですので、いわゆるZの動きの初めの ̄ の分しか動かないでしょう)。
ですので、デザイン上、一番訴求したいものをここに持ってくるのだろうと考えます。

《竹山氏》
大阪府:橋下知事時代も借金増!
5.8兆円(橋下知事就任前)→借金6.3兆円!(H24年度)

大阪市:バブルの負の遺産も手つかずの
借金4.9兆円!


全国政令市トップ3 健全財政の堺市
堺市の黒字が借金の穴埋めに…

それでも一緒になりますか?
大阪都構想では、大阪府・市の膨大な借金を健全財政の堺が一緒に背負うことになります。

(図を筆写がテキストベースに書き換えました。)

選挙的に、これは訴求力がありますねぇ。
誰だって、自分の税金がよその借金の補填に使われるなんて嫌ですもの。

…で、これだけなんです。

これを読んで、上述・中央部分のマニフェストを読むと、「この人はとにかく、大阪都構想に飲み込まれないことしか考えてないんだなぁ」という思いがいや増します。

「維新が当選しなければ、別に貴方でなくて良い、むしろ貴方じゃない方がいいです。」というのが正直な思いです。

 

これは、国政選挙ではなく、あくまでも市長選挙なのです。
投票権は、堺市民にしかありません。
市民が市政に期待して選ぶのが市長選挙です。
府政国政における維新や橋下さんの動向を占うために投票するのでは、決してないのです。

地方自治体の首長や議員の選挙が国政動向に強く関連づけられて語られることは、現実的にはとても多いです。
他の政党においても、その地方自治体の民のためにではなく、自分たちのために、このように地方自治体を「使おう」とする例は枚挙に暇がなく、もはや「当たり前」ですらあります。
私はそれにも賛成はしませんが、今回はましてや「大阪都構想」がかかっているのだという点を鑑みれば、維新の行動にも思いを譲るところはあります。

ですが、現職市長がそれにノって良いとは全く思いません。
現職市長が市民生活についてつぶさにしっかり地に足着けて考えるのでなければ、彼の役割とは一体なんなのでしょう?
侵略者から守りさえすれば、彼の役目は終わりなのですか?それなら現職でなくとも「3人目の新人候補者」で十分です。
twitterで橋下さんを叩く、大阪市内であり堺市の土地からすら離れた難波で演説する、すべて「維新を潰せ!」の号令の乗っかっているだけではないですか。
せめて、選挙活動期間に入ればもう少しまともに振舞うかと思っていたら、この選挙公報です。
竹山氏は、一体誰のためにものを考え動いているのでしょう?市民のためだとは全く思えません。

 

こんなことで、自分が選ばれると考えている市長は、市民を全く馬鹿にしてナメきっているとしか思えないのです。
目先の急進的改革派抵抗勢力への抵抗感を煽るだけで自らの立ち位置は安泰だと考えていると、こんなに大っぴらに表明されるなど、愚弄されているとしか思えません。

政治家が民をナメるのは今に始まったことではありませんが、ここまで遠慮なしにやられるとさすがに黙っていられません。
市民はもっとそこに気づいて怒るべきだと思います。

 

 

現職が、現職だからこその武器をすべて放棄して、対維新の風のみで選挙に勝とうとしている動機はいったいなんなんだろう?という疑問すら湧いてきます。
維新以外の政党がバックについたから、市民よりそちらを見ざるを得なくなってる?
単純に、とにかく選挙に勝ちたいだけの人?そういう「政治家ごっこ」をしたい「政局好き」さん?
橋下さんに前回選挙を無所属初当選させてもらったのに反旗を翻したら、こういうことになるのは分かってた訳なんだから、まっとうな「仕事」の部分で選挙戦を勝つ準備なんかいくらも出来ただろうに、しようとしたけど無理だった?(=市長不適格?)それとも虎視眈々と、他の政党への根回しに励んでただけ?

…別に、こんなうがった見方しかしなかった訳じゃないのですが、今回の選挙活動を見る限りでは良い点が見つけられないのです。

しかし、私もどちらかに投票せねばなりません。
残念ながら。

判断材料を探さねばならないので、ネットでマニフェスト詳細を探しました。

《竹山氏》
HP→竹山おさみ連合後援会
マニフェスト→竹山おさみ・マニフェスト(pdfファイルです。HPから飛びました。ver.1となっていますが、改訂版があるのかどうかは知りません)
※HP、サイドバーは充実してますが、肝心の中身はありません…。

《西山氏》
HP→堺八策―大阪維新の会 副幹事長 西林克敏
マニフェスト→維新・堺八策

中身を開いて読んでも、選挙公報の印象が変わりません。残念です。

そんな訳で、以下のことをするしかなさそうです。
・「堺の健全財政」の中身の検証
・大阪都構想の精査と
・「堺の自治が奪われる」の実態の検証

 

まあ、不勉強な有権者としては、「怒り」と「義務の遂行」という気乗りしない負の理由が元だとしても、こうして勉強を強いられるのは良い機会だということですね。
自分の権利を正当に遂行したいので、頑張ります。

(でもきっと、現職当選だと思います。むしろその得票差について注視したいと思います。)

 


女体礼讃

昔から、「大浴場」が苦手でした。

他人様の前に裸で出るのが、いたたまれませんでした。
どう振舞えば良いのかも分かりませんでした。

そして、特に年上の…或いは大人の…たくさんの女性達が開け広げな様子で動き回るのに非常な戸惑いを覚え、まったく身の置き所のないような気持ちになるのでした。

元来、自分が動く様子を見られるのが嫌いな子供でした。歳が上がるにつれ、その度合いは強まっていきました。
視線に曝されるのも苦手でした。ただ視線を受け止めてそこに在る、ということができず、言葉を繰っていれば安心していられるのでした。

思う考えることが生来好きで得意だったというのも手伝ったでしょうが、それを表現することによって、見られ方を制御したいという欲求の強さ・制御が可能であるという(誤った)自己防衛が、言葉を繰る動機の半分だったように、今振り返れば思います。

なぜだか知りませんが、「自分の姿はみっともない」という羞恥・自責が強かったようです。
本心本音であれ、裸の生身であれ。

後年、枕を共にした男性に体を見られることには抵抗がなくなります。
それでもやはり、大浴場は苦手でした。
すべてをさらけ出した関係の中では裸でいることも平気なのでしょう。
そして私は、「何を見られても良い」と思える関係を、長い間、恋愛にしか求めなかったのでした。

 

アロマセラピー・トリートメントをやるようになって、2つの大きなことに気が付きました。

ひとつ。女性の体はすべからく美しいということ。

うつぶせになった女性の、背中から腰、腰からお尻へと続く、まろやかかつダイナミックな曲線は、大変に美しいものです。どんな体型の女性でも必ずそうです。施術に入って、毎回はっとさせられます。
男性が女体を好むことが多いのも頷けます…この曲線は、恐らくはどんな男性も持ち得ない、女性だけの特別なものです。

そしてまた、トリートメントを施術する際、クライアントの肉体を見る目線は、身体・精神の癖や不調・停滞・過活発、また加減などを見極める、極めて冷静なものであり、そこに「スタイルの良し悪し」への判断は(私は少なくとも)全く含まれません。
その目で見ると、「その人の肉体がこう在る」ことへの畏敬の念ばかりが溢れてきます。
多少バストが豊かかそうでないか、ウェストのくびれがどの程度のものかなど、ごく瑣末な表層でしかありえません。
その人の肉体的造形は、まず人間であるということ、それから遺伝・環境・ご本人の生活ぶり・心持ちなどなどの総体として表れているものであり、そこには「この人が精いっぱい、持てる中で生きてきている」ことの証拠だけが燦然と積み上がっているのです。

もうひとつ。しかし、世の多くの女性は、トリートメントされるために脱衣することに強い抵抗を覚えるということ。

私がどんなに上のようなことを述べたところで、その抵抗・羞恥心が崩れることはありません。
それらは全く「その人自身の思い」でしかなく、対象者はほとんど関係が無いのです。

 

今日は、いわゆる「スーパー銭湯」に行ってきました。
今でも決して、寛げるだけの場所ではありません。

ですが、今日もしみじみと思いました。
やはり、どの女性の肉体も、すべからく美しい。

まだ「女」とは言えない子供ののびのびした肢体。
若い女性のきめ細かではじけるような肌。
母親である人の堂々とした乳房と腰つき。
老いた方々の年輪刻まれた体躯。
すべてに宿るのはただ「生命力」のエネルギーです。

皆、飾るものを脱ぎ捨てて、まったく同じ裸になって、それぞれにそれぞれのやり方で湯浴をする。
いいじゃないか!素敵じゃあないか!

今再読中の「一無庵風流記」の中に、「どんな人間でも死ぬときは皆同じなのが痛快だ」という意の述懐が出てきます。
それを思い出しながら、しかし、と考えました。
現代でなら、この光景だって、十二分に皆同じと言えるよなぁと。なんという平和でしょう!
そして、「窓ぎわのトットちゃん」に出てくる「はだかんぼのプールの授業」では、正にこの光景この気持ちのことが語られていたのだなぁとも。

裸の付き合いなどとよく言います。
身も心も、やはりまだ「全く抵抗がない」とは言えません。
長年培った自意識の壁は、そう脆いものでもないのです。

が、初夏の日差しの露天風呂で、大らかな…あまりに大らかな…女たちの素っ裸の楽しみを眺めていると…
「すべからく美しい」の中には自分ももちろん含まれているのだよなぁと。
そして、ちょうど慶次郎のように、この人たちに交じりつつ、思うように好きに動けば良いんだよなぁと。
そんなことがしみじみ感ぜられて、子供用に山ほど泳がせてあったアヒルと存分に戯れてみたのでした。


「日本人」であるということ

私は中学時代をシンガポールで過ごした。

ちょうどバブルが弾けた頃。
湾岸戦争突入前夜、そして勃発。

あの時代、パスポートが命の次に大切なものだった。
それが無ければ何もどうしようもなくなる大事な大事な命綱だった。
唯一、自分を「日本人だ」と証明してくれるもの、シンガポールの国内に居住する外国人だと保証してくれ、生活を守ってくれるもの。
私は「日本人」だったから、あそこにいられた。確かに、「日本」という「国家」が、私を守ってくれていた。

シンガポールは恐らくまだ中継貿易で栄えていて、基本的に日本人も日本語もとても好意的に歓迎されていた、少なくとも街では。
日系企業に勤めれば給与が良い。
日本人観光客の相手ができれば、お金を落としてくれる可能性が高い。
市バスで知り合った現地の大学生のお姉さん(恐らく、非常に優秀な方だ)に「日本人ならぜひ友達になりたい」と住所を戴いたこともある。(それを入れた財布をその直後に落としてしまい、結局音信は取れなかった。今でも申し訳ない。)
タクシーに乗れば、片言の日本語を一生懸命使おうとするドライバーは珍しくなかった。

だが、一方で、日本人は第二次大戦中にシンガポールで酷い虐殺を行った民でもある。
今は知らないが、当時、「孫文記念館」の2階は第二次大戦の資料館になっていて、日本人がシンガポールの人々に対してどんな拷問を行ったかというスケッチがずらりと貼ってあった。
恐らくは8月15日にあったのだろう、戦争で亡くなった方々の慰霊碑で行われる追悼の集会の最中と前後には、その界隈には行かない方が良いと避けた。
ナショナルミュージアムで第二次大戦が企画展となった期間には「あの辺りには行かない方が良い」と父親が顔をしかめていた。

同級生がチャイナタウンを歩いていたら、上から水が降ってきた、卵が降ってきた、という話はよく聞いた。
誰かがそう言うと、必ず「私も」「私も」と同様の体験が語られた。
私自身は、幸いにというか、そこまでの被害を受けたことはない。
だが、日常的に皆で行っていた学校近くのキャンティーンで、ある日突然、老婆である店主に「日本人は来るな!」と追い払われたことはあった。
皆で戸惑っていると、あちらで他の店の若い男性が「もうこっちにおいで」と手招きしてくれた。

日本人中学では現地の学校と「交換学生」が行われていて、そこにはホームステイも含まれていたが、そのプログラムに参加した生徒曰く、
「他の家族はみぃんな大歓迎してくれたけど、そこのおばあちゃんだけが、日本人は家に入るな!ってすっごい怒ってて、家族がなだめてた」
らしい。

 

そういう日常の中で、
「もう今はこうやって仲良くしてて、経済でもやりとりしてて、若い人はみんな歓迎してくれるんだし、今は今じゃん。
戦争のこと持ちだされても私たち知らないじゃん、関係ないじゃん」
と言う同級生もいた。

彼女に面と向かって反論はできなかった、と思う。
記憶ではできなかったが、実際にはどうだったか覚えていない。
ただ、今思い出しても、やっぱりきっぱり反論はできない。

それは一面で、成立しうるものの見方考え方だ。
建設的に前を向こう、今うまくいっているのだから、過去のことは水に流せば良いじゃないか、という考え方を一概に否定することは、私には出来ない。
それが、実際に、己に覚えのないことでいわれなき暴力や拒絶を受けている身であれば、尚更だ。

だが、一方で、思う。
自分は自分に責任なくとも、日本人である。それを捨てる気もない。
日本人でない人から「だってお前は日本人だろう」と言われる時に、それを否定する材料など持ち合わせているはずがない。
「日本人」だからこそ、あそこにいられて、生活できていたのだから。
それゆえに向けられる敵意・大きな恨みを、 我が事として引き受けるのは難しくとも、我が事ではないと言い切ることはできないのではないか。

あれから20年経った今も、答えなど出ない。

ただ、あの数年間こそが、「自分は日本人である」ということを明確に自覚するための期間になったことは確かだと思う。
伝統も、負の歴史も、すべて背負っている日本人の一人であるということ。
そして、日本という国家に守られ、生かされ、様々な恩恵に浴し、そして果たすべき義務を負った日本人の一人であるということ。

日本国のパスポートを取得する権利を捨て去らない限り、現代国際社会の中では「日本人」でしかあり得ないということ。
そして、もしもそれを捨て去ったとしても、自分が日本人の血を引きそこで育てられた人間であるという事実は変わらないということ。

そういう端的でシンプルで、重くもありがたい事実を起点とする以外の視点を、私は持ち得ないと思う。


亡くなりました。

昨夜、ハムスターのメルシーが亡くなってしまいました。

帰ってすぐに見るのが習慣になっていたのですが、昨夜は出てきていなくって、寝てるのだろうと放っておきました。
深夜、ふと、出てきていない時間がいつもと比べて長すぎると思って巣箱を開けてみたら、既に亡くなっていました。
まるで眠ってるような安らかな顔と姿でしたが、亡くなってました。

短い短い生活でした。家人は違いましたが、私にとっては初めて飼ったペットでした。
ペットショップから連れて帰ってくるのにあんまり動転しているので、とにかく揺らさないように静かに運べるようにとすり足で捧げ持って歩いていた時から、愛おしくてたまりませんでした。飼うのを決める前はすごく迷いましたが、あっという間に家の一員になって、可愛くて可愛くて。

これからまだまだ1年2年世話をしていくんだと思っていたのに。
「めるちゃん」と呼ぶたびに歓びで満たされたのに。
いつか慣れてくれたら良いなと楽しみにしていたのに。

愛していたのに、いなくなってしまった。

merciという名前は、私たちの大好きな女性にあやかってつけました。
めるしー、という音もその姿によく似合ったし、めるちゃん、めるっち、める、と色々に呼ぶにも良かった。
何よりも、この子を呼ぶのが「感謝の言葉」だ、というのが、2人ともとても気に入った点でした。
ほんとうに素敵な名前をつけてあげられたと思っていて、めるちゃんめるちゃんと口にするだけであのメルシーの姿が思い浮かんで、幸せな気持ちになりました。
でも、もう、その名を呼ぶ相手がいなくなってしまった。

 

たくさん、たくさん、思うことがあって、それとは全然別にただ「可愛かったなぁ」と生前を思い浮かべる度に、勝手に涙が出てきます。
「可愛かったなぁ」「あの子がいてくれて楽しかったなぁ」と思うたびに、また、たくさん、たくさん、いろんなことを考えます。

考えながら、しかし、と思います。
可愛かったのもこちらの都合だし、愛していたのもこちらの気持ち。
いなくなってこんなに悲しいのも、こちらの気持ち。
だから、悲しく思うのは、ずいぶん身勝手な気持ちなのではないか。

 

亡くなっているのを発見して、「どうしてこんなに突然、早く、死んでしまったのだろう」と、2人ともそれぞれにそこへ思いが向かったのでしょう。
2人とも無言でインターネットに向かっていました。
環境の変化、ストレス過多が原因なのだろう、という結論に、どちらも達していると思います。
もちろん、既に病気を持っていたのかもしれないし、弱い個体だったのかもしれないし、解剖でもしてみない限りは分かりません。
最期は看取れなかったので、どんな風に亡くなったのか分かりませんが、素人目・人間の目には、「眠ってたらそのまま死んでしまった」ように見えました。
死のときに苦しまなかったなら、良いなぁ。それが一番良いなぁ。

でもそこに至るまでの間は、ほんとはずうっと苦しいのを隠していたのかもしれない。
私たちの不慣れな飼い方のせいで、すごくストレスが溜まっていた末のことだったのかもしれない。
私たちは一生懸命、より良い環境を、より快適な生活をと心を砕いたけれど、全然的外れだったのかもしれない。

本当に愛していたけれど、彼女に適切なことはしてやれてなかったのかもしれない。

なぜ、生きてる間に、あの時に、この情報を見つけなかったんだろう。
あの判断がいけなかったんじゃないか。
思い返せば、責められるべき点はいくらでも思いつき、最終的には「つまり、飼ったこともないのに飼おうと決めたのが悪かったんじゃないか」というところに行きつきます。

自分が飼ったから、死なずに済んだ命を自分が殺してしまったんじゃないか。

 

しかし、と思います。
そうやって責めていく行為は、自分の悲しみを引き起こした現実を分析し、”自分にとって”納得いく理由を探し出し、自分を慰撫する行為でしかないのではないか。
少なくとも、向かう先は「自分の感情」でしかないのではないか。少なくとも亡くしてすぐの今の時点では。

 

どんな気持ちが、「メルシーにとっての、メルシーの死」という「メルシーにとっての事実」に正しく向き合っていると言える気持ちなのだろう。
勝手に涙が出てきてはまさに「悲嘆に暮れる」「胸がつぶれる」思いをするのですが、それは「愛したペットを亡くした自分の気持ち」でしかない。

 

メルシーが死んだ、ということを、認めるのにまず時間がかかりました。
なかなか受け入れられず、本当は熟睡しているだけなのではないかと、何度も何度も名前を呼びに戻ったりしました。 ちょっと音を出して驚かせてみたりもしました、目覚めるのではないかと思って。
本当は、巣箱を開けてその姿を一目見たときに、あぁ亡くなっている、と分かったのだけど。
でもどうしても、感情の方で受け入れられずに、混乱した数時間を過ごして、 その間も「なんと利己的な感情に支配されていることか」と思っていました。メルシーは亡くなっているし、家人はその悲しみに耐えていて、私ひとり、その2人のそれぞれに向き合えず逃げようとしている。

今もまだ実は、巣を見に行ってみたりしてしまいます。
昨日までと同じように、いるんじゃないかと思って。

 

まだ相当に動揺・混乱していて、発作的に泣いたり、まったくの空白が来たり、とても人様に見せられる姿ではありません。
もっと落ち着いたら、何がいけなかったのか、客観的に冷静に振り返り学ぼうと思います。

でも今は、メルシーがもういないという事実をまず完全に受け入れるのが、成すべきことなのだろうと。

メルシーにとってのメルシーの死がどのようなものであったかはもう、私の……「利己的」になる可能性からは絶対逃れられない……推測でしかあり得ない。

だからこそ、 たくさんの歓びと、楽しさと、夢や希望とをもたらしてくれたことに、愛と感謝を捧げたい。
愛くるしい姿や生態は、確実に、大きな喜びを与えてくれました。
毎日起きたらまず様子を見て、職場でも「メルシー」と思う度に明るい気持ちになって、帰ったらまずメルシーを見に行って、そういう歓びをくれた存在。

愛は、対象を必要とします。
愛すべき対象に対して動き、流れてこそ、自分の中に在ると感じられるのが「愛情」です。
それは確実に歓びをもたらします。
なので、愛させてくれる存在、「愛おしいな」と思わせてくれる存在は、そこにいてくれるだけで、十二分にありがたく貴い存在なのです。

いてくれて、ありがとう。
こんなにも愛させてくれて、ありがとう。
小さな小さな命は、しかし私たちにとっては唯一無二のものでした。

そして、愛した命の亡骸を、その生活の跡を、きちんと世話してやるのが、メルシーに最後にしてやれることであり、私たちに神様が下さった「お役目」なのだろうと、ありがたく押し戴こうと思います。
可愛かったなぁ、メルシー。本当に可愛かった。
神様のもとで、もうしんどいことも怖いことも全くなく、のびのびとしていてくれたら良いなぁ。

もうあの子はいないんだなぁ。もう、あの愛情をかける相手はいなくなってしまったんだなぁ。

今夜、お葬式をやろうと思っています。

 

ハムスターを先に欲しがった家人は、私に「こんなに悲しい思いをさせてごめんね」と言ってくれました。
ペットなど飼ったことがなかった私は初めは飼うことにいい色を示していなかったのです。
でも、買ってすぐから大事に大事に思い、メルシーを見ては「可愛いねぇ、可愛いねぇ」と喜ぶようになったのを見て、家人は喜んでくれていました。
こんなにも素敵な時間と体験をくれた家人には、とても感謝しています。

 

可愛かったメルシーと、彼女との暮らしをくれた家人へ、心からありがとう。


保坂和志氏と、岩崎夏海氏と。

私は保坂和志が少し(斜め上をいく感じで)好き、というか好感をもっていて、ドハマリして次々に読むというものではないが、たまに読むと「やっぱり良いなぁ」と思う。

ところで最近、岩崎夏海氏のブログを見つけて、「世界文学」(より普遍的な言葉に意訳するといわゆる「純文学」のことか?)への思いやら、東日本の震災被害者に何を成さざるべきかやら、を読んだ。

岩崎氏のおっしゃることには正直、全くぴんと来ない。

保坂氏の作品を今読んでいて、2つのことを思った。

1つは、岩崎氏が好きになれず、保坂氏は好きになれるのは、両者のスタンス…お二方は小説家なので、はっきり言ってしまえば生きる覚悟や、人格のようなもの…に起因するのだろうか、ということ。

もう1つは、しかしそれは、社会情勢や、同時代的な文化・風潮によるものなのだろうか、ということ。

1つ目でいえば、岩崎氏のネット記事を読む限り、私は全く賛成できない。 この人は何を甘いことばかり言ってるのだろうとしか思えない。
だが、この方の凄さはむしろ私がそう感じる類の「弱さ」をメタ的にもメタメタ的にも…(以下略)「弱いまま」で曝け出せるところにあるのかもしれず、それは氏のおっしゃる「世界文学」の魂たるものなのかもしれない(私には分からないが)。
要は、私の個人的な趣味に収まることだということだ。

しかし、この1つ目の思いから、2つ目が出てくる。
つまり、岩崎氏のような表し方やスタンスのほうが、より「同時代的」なのかもしれない、ということだ。
そこに思い至るのは、今読んでいるのが「小実昌さんのこと」だからかもしれない。長い引用は兵役中の体験を扱ったものだ。

岩崎氏と、保坂氏の、最も異なるところは、「自己の感じ方・感受性は普遍的な真実に繋がる」という確信を、ナイーヴに信じているか、それとも果てしなく懐疑しているか、だと感じた。
岩崎氏は、自己の体験とそれにまつわる思いを述べた後に言い切る。「人間とはだから、こういうものなのだ」と。
主語である「自分は」と「人間は」が、全く引っかかりなく置換可能である、と信じられる感性には、正直絶句する。

だが、社会で求められているのは、正にこういう「自己と他者の境界のなさ」なのだろうか。
或いは、自己が普遍的なものであるか否かを徹底的に懐疑する、という行為はもはや価値を落としたのだろうか。

昨今の多様な(あるいは多様であるかに見える)言説が示す「社会的なムード」に興味があって、よく見ているが、なかなかこれといった結論は出せずにいる。
非常に興味深い。
そんな中での、驚いた一幕。


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